以前、テレビで、こんなものを見たことがある。
「自称歌手」の50代とか60代の人達を集めたのだが、彼らは全く売れておらず、それでも、明日の成功を夢見て頑張っているといったものだったと思う。
もちろん、絶対に可能性がないとは言えないかもしれないが、まず、間違いなく、彼らにスポットライトが当たる日は来ないだろう。
イギリスの歌手スーザン・ボイルのような例もあるが、彼女は賭け値なしに歌が素晴らしいのである。

また、プロサッカー選手になる夢を持つ青年がいたが、もう30歳近くで、どこかの企業のサッカーチームにでも入っているのかもしれないが、そこで特に注目されてる訳でもないようだ。
彼もまた、希望が叶う可能性は、ほぼゼロだ。

しかし、彼らは夢を捨てる気はないようだ。
なぜ、そんな人達がいるのだろう?
割と話は簡単で、彼らは、夢を叶えるために注ぎ込んだ時間が少な過ぎたのだ。
十分な時間を注いでいれば、見極めと、それに伴う諦めもつき易い。
しかし、そうでなく、余裕があるから、自分にはまだ伸びしろがあると勘違いしてしまうのだ。
プロのスポーツ選手や、プロの歌手でも、それほど長時間練習しないという人もいるかもしれない。
だが、そんな人達は、何か特別な才能があるというよりは、日常生活そのものがトレーニングになっている場合が多いのだと思う。
有名な陸上選手には、道を歩く時にも、競技のトレーニングになるような歩き方をする者は少なくないだろう。
ギミック(意図的なキャラクター設定)かもしれないが、昔、手で顔や胃袋を締め上げる「クロー攻撃」という技を必殺技としていたプロレスラーが、常に野球ボールを持ち歩き、握力を鍛えていたといった話があったが、それと似たことを本当にやっているスポーツ選手は沢山いるだろう。
スーザン・ボイルだって、長年に渡ってレッスンは欠かさなかったはずだ。

高い目標であれば、少なくとも、毎日欠かさない訓練が10年は必要と思う。
そして、本当に事情があって、訓練が出来ない日があるにしても、出来ない訳でもないのに訓練を休むことが、月に2度もあれば、プロになることは不可能だ。
逆に言えば、1日の訓練はそれほどハードでなくても、継続すれば高い目標を達成することもある。
作家の村上春樹さんは、学生時代、毎日、必ず原稿用紙10枚書いたが、それ以上は書かなかったという。
思想家の吉本隆明さんは、著書に、「物書きになりたければ、10年、毎日書けば必ずモノになる」と書かれていたが、1日中書けとは言っておらず、「書けなくても書こうと思え」と言われていることから考えると、やはり、量というよりは、休まず継続することが大切そうだ。

言っては悪いが、最初に取り上げた、プロの歌手になり損ねた人達(その時点でだが)は、才能や容姿以前に、やはり、毎日欠かさず練習することがなかったのではと思う。
さっきも述べたが、それをやっていれば、駄目でも諦めがついたはずである。
そういえば、私も、超能力者を目指していると言いながら、毎日訓練していない。だから、いまだ大師でないのだろう。








  
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