1987年から始まったアニメの『シティーハンター』(今年はついに実写フランス映画になった)で、ヒーローの冴羽獠(さえばりょう)が、至近距離から銃撃されたその弾丸を、涼しい顔で交わすという場面がよくあった。
2004年のアニメ『MADLAX』では、空想的表現とはいえ、オープニング映像で、マドラックスやマーガレットが沢山の銃弾を優雅に交わす。
しかし、人間の神経の伝達速度は毎秒10m程度らしいので、飛んでいる銃弾を交わすことは不可能なはずだ。
不可能なはずだが、合気道の創始者、植芝盛平は、それが出来たと言われ、特に、軍の射撃の名人6人に至近距離から拳銃で狙撃された時、銃弾を交わしただけでなく、狙撃主達全員を投げ飛ばしたという。
仮に、そんなことが出来たとしても、人間の機能構造上、訓練してそんなことが出来るようになる訳ではない。
先程取り上げた『MADLAX』や、そのシリーズものと言える『NOIR』(2001年)や『エル・カザド』(2007年)には、超人的な能力を持つ少女達が登場する。訓練された軍人達を1人で易々と倒したりするが、自分の至近距離を飛び交う銃弾の中で、ぼんやりした顔で敵を射殺していく。
まさに、アニメであり、どんな人間にもそんなことは出来ない。
しかし、一方で、どんな人間にも、そんなことが出来る。
石ノ森章太郎(当時、石森章太郎)さんの1967年の漫画『009ノ1(ゼロゼロナイン・ワン)』で、ヒロインのミレーヌは、飛んでくる銃弾が空気を熱する音を頼りに弾丸を交わしたが、それは人間には無理だが、彼女はサイボーグだった。
つまり、神経、脳、筋肉といったレベルで弾丸は交わせない。だが、直感的、無意識的には可能であると思う。もちろん、これは、一般的な科学、医学などで認められるものではないかもしれないが、いまや、そういったことは、それほど不思議なことでもないと思えるのだ。

もし、弾丸を交わすような能力があるとしたら、それを発揮するために必要なことは、それが出来ない脳の一般的機能を停止させることだ。
脳は、小学校低学年レベルの算数問題を解いている時は全体が活性化するが、高度な数学問題を考えている時は、ごく一部が活性化するだけだという。
もっと難しい問題を解ける時であれば、脳はほとんど活動しないのではあるまいか。
いわゆる、インスピレーションが起こる時である。
そんな時には、思考活動は完全に止まっているはずだ。
早い話が、ぼーっとしているのである。
ただし、一般的なイメージでの「ぼーっとしている」時というのは、案外に頭で何かを考えているのだ。
そこで、本当に何も考えず、ぼーっとすることが出来れば、超人的能力を発揮することもあり得る。
私の経験で言えば、子供の時にやったことだが、大きな図書館の中で、どこにあるか分からない本をすんなり探し当てたり、天体望遠鏡を手に入れたばかりで、天文の知識が全くない時に、満天の星空の中から迷わず土星を選んだり、交通量の多い車道の中に、目をつぶって飛び込んで渡ったり(決して真似しないよう)を、何度でも行っていた。
それはアニメではない、現実の話である。
物理学者の保江邦夫博士は、小学生の時、授業中、ぼーっとしていたら、教師にどんな問題で指名されても正解を答えたらしい。これは私には出来なかった(やらなかっただけかもしれないが)が、やはり、ぼーっとしている時・・・無である時の人間の能力は小さくはなく、仙人や天狗や宇宙人にも匹敵するかもしれない。
「ちゃんとぼーっとする」術を身に付けるべきかもしれない。








  
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