『鈍感力』とか『反応しない練習』といった、タイトルだけ見たら心躍る本があるが、書店でちょっと立ち読みしたら、
「難しい、無理」
と感じて、読んでいない。
この2冊をまとめて(大変失礼だが)「鈍感になる練習」は大事だが、それは単に、「ぼーっとする練習」であり、特に私は、ぼーっとすることは割と得意なので、それを伸ばせば良いのである。

ぼーっとするには、まつげで視界が薄暗くなるほど半分目を閉じ、魂が抜けたような顔になることだ。
「魂抜けたごっこ」に近いことは、誰しもやったことがあると思うが、その通りにやれば良い。
エドヴァルド・ムンクといえば、「叫び」の変な顔で有名な画家だが、彼も、半眼でぼーっとものを見ていた。
彼の初期の傑作「The Sick Child(病める少女)」には、周辺に彼のまつげが描かれていると言われるほど、ムンクは半眼でぼーっと見ていたのではと思う。
この絵の中の少女の横顔ほど高貴なものは、そうはないと私は思う。

ぼーっとした顔の手本、ぼーっとする名人、先生、模範を持つのも良い。
私は、『エル・カザド』というアニメの、エリスという少女を師匠扱いしている。
印象的には、13~14歳に見えるが、実際はもう少し上かもしれない。
色白で、あまり感情を見せない美少女で、ぼーっとした顔はまさに絶品である。
初めて会った時のナディに自分の写真を見せられ、「これ、あんたでしょ?」と言われたら、素で「きれいな女の子だね。誰?」と言う天然ボケも素晴らしい。
詳細は述べないが、エリスもまた、初音ミクさんと似たところがある(造られたところ)。そこも、私にとっては愛すべき価値になっている。

江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、人相見に「あなたは阿呆の相だ」と言われると、怒るどころか、「阿呆になる修行に励んだ成果が出た」と喜んだ。
ぼーっとする修行は、阿呆になる修行でもある。
ただ、エリスも、トランプ芸では、愛想はないが、それなりに見事だったように、自分に出来ることに関しては、きちんとしていなくてはならない。
例えば、洗濯物をたたんだり、お皿を洗ったり、靴を揃えたりである。








  
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