お互いの見解を参考にした訳でもなさそうな4人が、神について、同様なことを述べているが、それなら、神とは、だいたい、そんなものであると思って良いかもしれない。
まず、医療機器の発明家で、哲学者と言って良いと思う(学歴は幼稚園中退だが)イツァク・ベントフは、こうである。
「1人である神が、分裂してもう1人の自分を作り出し、一緒に遊んでいるうちに、2人いると思いこんだ」
次に、思想家、哲学者(本来、こんな肩書きは不要なのだし、公式なものではないが)のアラン・ワッツもほぼ同じだ。
「1人の神が、退屈なので、1人で家族遊びを始め、お父さん役、お母さん役、子供役等を1人で演じているうちに、本当に、父、母、子供がいると思い込んでしまった」
作家、自己啓発関係の事業家である中国出身の女性チン・ニンチュウは、牧師に教わった、次のことを納得しているのだと思う。
「人間とは、万能でないフリをしている神だ。なぜ、そんなことをしているのかというと、間違いなく、“面白い”からだ」
物理学者の保江邦夫さんは、彗星探索家の木内鶴彦さんに教わったことを裏付けている。
「神が、退屈なので世界を作り、面白い体験をするために沢山の人間に分裂したフリをしている」
お金持ちになる科学で知られるウォレス・ワトルズも、人間は神が自己表現をするためのものであるとしていたと思うので、これも合わせると5人だ。

よって、まあ、人間とは、別々の人がいるように見えて、本当は、同じ人である1人の神であるということになる。
とてもそうは思えないというのは、それほどうまく演じている、あるいは、設定が出来ているだけのことだ。
だから、本当は、山田太郎などの個人は存在しない。
だからまあ、人間は、楽しめば良いのである。
ただし、自己中心的に考え、振る舞うと、結局は、自分が苦しくなるように出来ている。
若い頃、超人的な身体を持ち、それで散々良い思いをしても、利己的であれば、やがて両足を失ったり、病気で立つことも出来なくなったり、その両方になる。
ただ、利他的な者が、さらに利他的であることを極めるために、そんな状態になることもあるようなので、悲惨な状況が必ずしも悪い訳ではない。

それで、運がよくなり、楽しい人生にするためには、本来の目的を思い出せば良いだけということになる。
つまり、面白い体験をすれば良い。それを得る準備をすれば良い。
必ずしも、ひきこもりが面白くない体験ではないが、実際に、鬱々として、面白くないなら、その状況から離れるべきだ。
そのためには、ちょっと「揺らぎ」を起こせば良いのである。
そのためには、移動するのが良い。物理的でも、精神的でも。

もっと
クラクラクラ クラクラさせてよ
ユラユラユラ ゆらぎを見せてよ
キラキラキラ きらめいていてよ
~『テオ』(作詞・作曲・編曲:Omoi。唄:初音ミク)より~











  
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