「思考停止」と言ったら、自分の頭で考えない愚か者の状態を指しているのだろう。
ところが、考えることをやめたら、真の知恵者であり、幸運に恵まれ、奇跡すら起こせる。
これは一体どういうことだろう。
いや、実に簡単なことだ。
単に、「人間が考えるべき簡単なことはちゃんと考え、難しいことは魂の叡智、あるいは、神に任せる」というだけのことである。
スーフィーの格言に、「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」というものがあるらしい。
「ラクダなんかつないでおかなくても逃げやしないさ」というのが「思考停止」なのである。
ラクダを、いつ、どこに、何で、どんなふうにつなぐかを考えて決めるには自分なのだ。
そんな簡単で、人間が分かることに神様が関わったりしない。
だが、そんな簡単なことをしっかりやり、後は何も考えなければ、人間の及ばぬ知恵と力で神様が面倒を見てくれる。

いかに部下を可愛がる力ある上司でも、部下が毎日遅刻をしてくるようでは救えない。
部下が、「深夜に面白いテレビ番組があって、どうしても朝起きられないのです」と言い訳しても、上司が一緒に考える必要はない。
それは、部下の問題であり、そんなことが解決出来ないようなら、彼は、その上司にも見捨てられる。
ところが、そんな阿呆な部下に限って、難しい問題のことで、経験も(大抵は知識も)ないくせに、上司に、「もっといい方法がありますよ」などと馬鹿を言うものなのだ。そんなことは優秀な上司にまかせれば良く、上司のやり方を見ているうちに、ようやく、自分にも出来るようになり、いずれ、上司を追い抜くことも可能になるのである。

ダイエットなんて簡単だ。
食べ過ぎないようにし、適度に運動すれば良いだけだ。
「だけど、それがなかなか出来ないのですよ」と言う者がいるが、そんな簡単なことが出来ないなら、何も出来ない。
ところが、そんな者に限って、会社の上司や幹部の批判を(陰で)し、自分の方がずっと賢いようなことを言うものだ。

ある優秀な人が、
「私は人生で何も大したことは出来なかったが、閻魔様の前に出たら、便所の下駄はきちんと揃えましたと言うつもりです」
と言っていた。
一時が万事で、便所の下駄(今どきは珍しいかもしれないが)をきちんと揃える人は、きちんとすべきことはきちんとしているだろう。
神仏は便所の下駄は揃えないが、彼を豊かにする、彼が思いもよらない出来事は起こすのである。

お歳暮の品を、相手のランクによって決めるという難しいことなど、しなくて良い。そんな頭の無駄使いをしなければならない会社なら、今の時代、すぐに潰れるだろう。そして、本当にきちんとすべきことをすれば、そんな難しいことをしなくて済むよう、神様が取り計らってくれるだろう。例えば、良い転職先が見つかるなどね。私は、お歳暮を贈ったことは一度もないが、それで困ったことも一度もない(お歳暮が必要な会社からさっさと転職し、転職後、その時代遅れの会社は潰れた)。
ただ、本当にそうしたい場合には、プレゼントもすれば、手土産も持っていくのであるが、それは楽しいことである。自分が楽しくないなら、相手にも迷惑だろうから、プレゼントもお土産も持って行ってはならない。







  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ