お伽噺(童話。正確には日本の童話をお伽噺と言う)には、深い教訓が込められているというが、その教訓が大いに取り違えられているのではないだろうか?
お伽噺は、軽率であることを戒め、考え深いことが奨励されていると言われる。
例えば、『白雪姫』では、林檎売りのおばあさんに化けた母親である王妃に騙されて林檎を食べた白雪姫が死んでしまったことは、深く考えずに、おばあさんを信用した白雪姫のミスということになる。
しかし、普通、自分の母親がどう化けようと、娘には分かるもので(王妃様がそんな訓練をするはずがなく、特に下手そうだ)、もし、王妃がおばあさんに化けて白雪姫が住んでいた小人の家を訪れても、
「あ!お母様!何しにいらしたの?帰って!」
ということになるはずだし、毒林檎で騙される前に2度ほど騙されているのだから、いい加減分かろうというものだ。
サンタクロースを幼稚園の時から信じていなかったというキョン(『涼宮ハルヒ』シリーズの主人公である男子高校生)だが、私は、幼稚園の時は、サンタクロースを信じていた。しかし、『白雪姫』の話は、幼稚園の時から疑問を持っていた。だって、白雪姫は馬鹿にもほどがある!

白雪姫の本当の母親である前王妃は、生まれてくる子供(白雪姫)が、美しいことは望んだが、賢い子であることは望まなかった。
その願いは実現したようだった。
おかげで、継母である新王妃に憎まれて捨てられるが、考えない性格のおかげで、森の小人の家で快適な生活を手に入れた。
しかし、労働の条件付きだった。
きっと、白雪姫は、働かなくても贅沢出来る生活を望んだに違いない(私見である)。
そこに、継母が何度も、白雪姫を殺しに来て、馬鹿な白雪姫は何度も騙されて殺されたが、小人達が蘇生させた。
しかし、毒林檎で殺された時は、小人達に、白雪姫を生き返らせることが出来なかった。
だが、それらの一見悪い流れのおかげで、王子様の目に止まり、王子様のキスのおかげか、死んだ白雪姫を乗せた馬車のゆれで白雪姫の歯から毒林檎の欠片が取れたせいかは諸説あるが、とにかく、白雪姫はあっさり蘇り、超幸福になった。

全ては、なーんにも考えず、感情まかせで進んだ白雪姫の勝利である。
C.G.ユング等、偉い心理学者は、童話を小難しく解釈するが、『白雪姫』に関しては、考えることを放棄した白雪姫が、何度も頭は打ったが、最後は幸運を掴むという話である。
『ヘンゼルとグレーテル』に関しては、ユングか河合隼雄さんだったか忘れたが(河合隼雄さんはユング派の著名な心理学者)、グレーテルという少女の成長が運命を開いたと解説していたように思うが、それはどうだろう?
最初、彼女達の親がヘンゼルらを森の中に置き去りにして捨てようとした時、ヘンゼルが石やらパンやらを道に撒いて帰り道が分かるようにするという小賢しいことをやっていた時は駄目で、グレーテルが、魔女の家で、考えることが無駄と知った刹那、運命が開いたというのが本当ではないのか?

天才?秀才?関係無いだろ。断然、感情任せで進め
「ヘイヘイ!先生、失笑してるぜ?」 衝動優先溢れ出していく COLOR
~『アメリカ~We are all right!~』(作詞・作曲・編曲:じん。唄:IA)より~

矢追純一さんは、自分は頭が悪いので、考えることを諦めたと言う。
しかし、矢追さんは、小学、中学時代は、家で全く勉強しなかったが、成績はオール5がディフォルトだった。
家で勉強していたら恐ろしい母親に怒られる(本なんか読んでたら問答無用で捨てられた)が、4が1つでもあると母親の機嫌が悪く、3でもあったらぶん殴られた。
大学も、受験勉強はしなかったが、特に当時は名門だった中央大学法学部に現役で合格し、4年できっちり卒業している。
そして、日本テレビでは人気番組を生み出すディレクターであったのだが、考えることはしないと言う。
世界的物理学者の保江邦夫さんも、1秒先、1秒後のことも考えないことを著書の中で推奨し、それが、キリストの教えであると断言しておられたように思う。
つまるところ、ソクラテスもそう言ったのだと思う。彼は、「私は、自分が何も知らないということだけを知っている」と延べ、自分にはいかなる能力もないと言った。だからこそ、自分は人類最高の知恵者だとも。








  
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