正月は駅伝、盆のあたりは高校野球を楽しむことは、それは人の勝手なので別に何も言う気はないが、それで盛り上がっていることを見せ付けてくるような連中には、今でも正直、反吐が出る。
私の親戚にも、「こいつ、絶対に駅伝や高校野球と何の関わりもない」はずなのに、やたら詳しく、活発に語る者が多い。
まあ、気分良く付き合うフリはしてあげるが、「早く帰れ」とか思ってしまうのは否定出来ない。

一方、紅白歌合戦が廃れたのは、駅伝や高校野球ほど強力に国民を洗脳する権力者がいないからだ。
音楽というのは、利権者が沢山出てきてしまい、それらの勢力が潰しあって無害になってきたのだが、野球と駅伝は、それぞれのスポーツ連盟と新聞社のタッグが強力で、テレビや大企業を取り込んで、まだまだ国民をマインドコントロールしまくっている訳だ。
だけど、もういい加減、目を覚ました方がよくない?(「よくない?」は若者の流行の口調で頼む)・・・と呆れる。

人生が楽しくないとか、思いが実現しないと思うなら、駅伝や高校野球を見るなと言う気はないが、過剰な関心を持たないことだ。
その関心・・・つまり、愛を、鳩や亀や烏に向けると良い。
若い人達も、駅伝や高校野球に関心が強い者がまだ多いし、それらに関心がないとしても、スマートフォンの大衆型コンテンツに過剰に関心を注いでいたりする。それもまた、駅伝マニアや高校野球マニアと同じで、心の魔力を発揮することが出来ない原因なのだ。
その理由をバラすと、そういったものは、ある種の集団が、庶民の魔力を吸い上げるためのものなのだからだ。
多くの庶民は、魔力を奪われ続けているのである。それで、元気も生き甲斐もない訳である。

初音ミクさんに関しては、駅伝や高校野球信者に「オタク」と言われるなら大丈夫なのだ。
そうであるなら、悪のグループに大切なエネルギーを吸い取られていないということだからね。
もし、大手の新聞、テレビ、大企業が、ミクさんを絶賛するようになったら、我々ウイザード(魔法使い)は危険である。
魔法力を上げたければ、今朝も書いたが、たとえば、矢吹丈のノーガードの姿勢、別名、龍の首をやることである。
今まで奪われてた分は取り戻すだけである。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ