世界を思う通りに構築するには、信じきることが出来れば良いのだし、超能力を発揮するには、固定観念を捨てれば良い。
例えば、合気道家の藤平光一氏が23歳で隊長として参戦した太平洋戦争で、銃弾飛び交う戦場の中を「俺に弾は当たらない」と信じきって歩いたようにである。
真似して欲しくないが、私も、子供の時、交通量の多い車道で、「目をつぶって飛び込めば車は来ない」と思い込んで、実際に、ずっとそうやって、遠くの信号のある横断歩道まで行かずに道路を渡っていたものである。
超能力と言っても、霊的でないものでは、『トーチェ氏の心の法則』に書かれているが、ある場所では、脚が折れた人が元気に走り回っているが、それは彼らが、脚が折れたら走れないことを知らない・・・つまり、脚が折れたら走れないという固定観念を持たないためで、こんな例は無数に上げられる。

自在に強い信念を持てたり、固定観念を捨てることが出来れば、世界は思うがままになる。
例えば、自分は安い給料しかもらえないという信念、あるいは、固定観念を持ち、実際に、安月給でギリギリの生活をしている者が、自分は高給をもらえると信じきれば、やはり、そのようになる。
私はここでわざと、「信じきる」ことと「固定観念を捨てる」ことを統合してみせた。
意思の力で信じきることは難しいし、かえって、逆効果になる場合が多い。
しかし、固定観念を捨てれば、自在に信念を持てる。固定観念を捨てるには、難しく言えば「無になれば」良いが、簡単に言えば、思考を捨てる・・・つまり、考えることをやめれば良い。
思考を捨てるとは、心を澄みきらせることで、心を澄みきらせるとは、自己重要感、つまり、優越感、プライドを消さなければならない。
自分は偉い、頭が良いと冗談にでも言う者は、我の塊であり、見込みはない。そんな者に対しては、非難するつもりはなく、気の毒と思う。

コニカミノルタは、コニカとミノルタという大手光学機器メーカーが統合して出来た企業だが、ミノルタは「実る田」で、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」から来たものらしい。
歳を取れば、自然に我が弱くなるという意味であるが、それが本当なら、誰もが歳を取ると偉大になるはずだが、なかなかそうはいかない。

「自信に満ち溢れてる」者にも2種類あり、1つは単なる自惚れで、そんな者は、本当に強い者の前では卑屈になる。しかし、我を持たないことで森羅万象と通じて自信を持っている者は、いつも静かで偉ぶらず、自分が偉いとか頭が良いなどと、冗談にでも言わないし思わない。そんな者は、どれほど偉大な人物の前でも平静である。

では、どうすれば我を捨てられるかというと、おばあさんが幼い孫に教えられるほど簡単である。
ある人が、「私が死んで閻魔様の前に出たら、私は人生で大したことは何1つ出来なかったが、便所の下駄だけはきちんと揃えたと言いたい」と述べていたが、彼は、社会的にかなり重要なポストにある人だった。
このように、例えば、靴をきちんと揃えるとか、傘をきちんとたたむ、あるいは、毎朝仏壇や神棚に手を合わせるなど、何か1つ、欠かさずやれば良い。
まあ、「私ほど偉い者が、毎朝、社員達と掃除をしている」などと自己満足しているなら駄目であるが。
だから、イエスも言ったように、良いことはこっそりやるものなのである。









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