神様が「3つの願いを叶えてあげよう」と言ってくれたら、何を願うか?
私が小学生の時、それを教師に教室で聞かれたが、誰か小賢しいヤツが、「何度でも願いを叶えて」と願うと言い、クラスメイト達はそいつの頭の良さを称賛し、そいつはドヤ顔で優越感に浸っていた。
もし、そんなことを願ったら、前提の「3つの願い」がある以上、世界は無限に分裂する。

「例外のないルールはない」が成立しても、「例外のないルールはない」の例外、つまり、「例外のないルールはある」は成立しない。
これは、「この壁に貼り紙すべからず」の貼り紙をしても構わないのと同じだ。
これらの正当性は、数学的にも証明出来るらしいが、そんなことより、「ルールはルールの主体に適用出来ない」ことを身体で覚えておけば良い。
隊長が「回れ右」を命じても、隊長自身は回れ右をしないものだ。

簡単に言えば、「格」の違いだ。
壁の所有者でない者が、「この壁に貼り紙すべからず」という貼り紙をしても無効だが、壁の所有者がやれば有効になる。
「例外のないルールはない。よって、僕は借金を返さなくても良い場合がある」と、低レベルの者が言っても、例外は認められない。だが、法を超える権威者が言えば、善悪はともかく、やはり有効だ。

つまり、この世を支配するのは権限なのだ。
会社の中では、仕事においてはピラミッド型権限の通りに支配される。
しかし、社長が女子社員に「今晩デートしろ」と言っても、それは、社長の権限の通用しないことである。
そんなことを命じることが出来るのは、昔の君主制国家での、君主そのものか、君主に権限を与えられた者であり、民主国家では誰にもそんな権限はない。

だが、あなたの本体は超君主世界の王だというのが、トップシークレットであろと、それが事実なのだ。
あなたは、あらゆる矛盾、例外を超えて、どんなことでも要求出来るし、要求すればそれで終わり・・・必ず叶えられる。
だから、あなたは王になりなさい。
方法は・・・確か、『老子』に書いてある。
というより、『老子』には、王についてしか書かれていないのだ。
例えば、麗しき39章(この数字の麗しさ!)に、王は自分のことを「孤児」「独り者」「善でない」と言うとある。
これは、「考えるあなたは、善でないので、権威がなく、保護されず、孤立している」という意味で、それはつまり、「考えないあなたは善であり、宇宙に保護され、宇宙がパートナーである」という意味だ。
あなたは、考えないことで王になるのである。









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