人間の頭は、大したことを考えるようには出来ていないのだと思う。
将棋の名人の対局中の脳波を計ったら、シータ波という眠っている時の脳波だったという話がある。
つまり、将棋の名人は、高度な知性を発揮するところで、脳をほとんど使っていないのだ。
一方、簡単な算数の問題を解いている時は、脳は活発に活動しているらしい。
ところが、高度な数学の問題を考えている人の脳は、やはり、ほとんど活動していないという。

最近ずっと書いているが、人間は、考えなければ、恐ろしくうまくやれるし、幸福になれる。運も良くなる。
とはいえ、「考えるべきことを考えない愚か者」も確かにいる。
しかし、この「考えるべきこと」は、小学校の算数レベルの簡単なことなのだ。
服をきちんと着たり、洗濯する時に適切な量の洗剤を入れたり、モノを丁寧に扱ったり、必要な時に他人に親切にするなどである。
ところが、人混みや電車に乗ったり降りたりする時にスマートフォンを見ていたら他人の邪魔になるという「小学校低学年の算数レベルのこと」を考えることが出来ない人が多くなっている。
人間の自慢の脳は、そんな簡単なことを考えるように出来ているのであるが、それをしないと脳が衰え、愚か者になるのだろう。
適切なことをきちんと考える人の小さな親切は有り難いが、愚か者の小さな親切は大きなお世話になるのである。

だが、考えても仕方がない難しいことは考えない方が良い、いや、考えてはならない。
そんなことを考えなければ、空間に偏在する高度な知性が、必要なことを教えてくれる。

これが、荘子が2400年も前に訴えた、小知をふりかざす愚かさと、大きな知恵にまかせる賢さの原理である。
何かの雑誌のインタビューだったと思うが、矢追純一さんが、「僕は、自分が頭が悪いことを知っているので、考えることを諦めたのです」といった話をされていたが、頭の良い人間などいないのであり、それが自分のこととして分かる人間が賢者なのである。

ところで、私はゲームプログラマーではないが、パソコンでちょっと面白いグラフィックを作る時に三角関数を使うことはある。三角関数は、縁のない人には難しいが、慣れてしまえば小学校の算数と変わらず、誰がやっても簡単だ。いや、実用数学の大半が順を追って学べば簡単なはずなのだ。ところが、そんな簡単なことを、自分が頭が良いとでも主張したいのか、わざと分からないように言う者が沢山いる。そんな者は、試験の成績は良くても、当たり前のことが出来ない馬鹿なのであり、高度な知性と通じることが出来ないのである。









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