あらゆるスピリチュアルな天才達の魔法の教えを統合すると、それは、「強く思ってぼーっとする」になる。
1つの分かり易い例で話そう。
イギリスの世界的作家コリン・ウィルソンは、まさにオカルトオタクだったが、天才だった。
しかし、彼は天才の鋭さは十分だが、具体的手段を体系化するといったことは、苦手だったか、興味がなかったかだと思う。
だが、彼の本はまさに、貴重なヒントの宝庫だ。

彼は子供の時、弟と一緒に森で迷ったことがあった。
行けども行けども、森から出られる兆しは見えず、疲労し空腹に襲われ、その上、雨が降って身体が冷えてしまった。
小さい弟はずっと前から泣きべそをかき、歩くことも拒否する・・・コリンも、弟と同じ状態に陥る寸前だったかもしれない。
しかし、コリンは、「僕は兄さんだ」という自覚を奮い起こし、元気なところを見せ、弟を安心させ、そして、励ました。
そして、考えるのをやめ、勘を頼りに進むことで、ついに森を出、生きて家に帰れた。
この経験から得た貴重なものは、ウィルソンは、「しゃんとする」ことだと言う。
森を出ることが出来た内面的導きは右脳の力だが、まず、左脳が「しゃんと」しなければならないのである。
左脳の仕事はそれで終わりだ。
左脳がやるべきことをし、後は右脳に任せてしまうことでうまくいったのだ。

矢追純一さんも、同じことを著書の中で述べていたと思う。
目標を決め、後は、自分では何もせず、何も考えず、ただ大きな力にまかせるのだ。
矢追さんは、まともに学校に行ったのは中学の3年間だけで、高校時代は、妹2人を養うために働いたり(住むところの家賃も稼いでいた)、朝帰りになるほど飲んで遊ぶのに急がしく(笑)、全く高校には通わず、制服も持っていなかった。
それでも、大学に進学しようと思い、中央大学法学部を受験する。中央大学の中でも法学部は別格とも言える名門で、当時の司法試験では、合格者数で東大を超えていて、全国のエリートが集まっていた。
矢追さんは、合格すると強く思って、後は野となれ山となれだったのだと思う。
参考書を1冊か2冊は読んだようなことは書かれていたが、とても受験勉強と言えるようなものではない。
しかし、試験後、合格と決まっていると思って心配もせず旅行に行き、帰ってきたら、やはり合格通知が届いていた。

ビル・ゲイツだって、成功の始まりであった8080BASICをポール・アレンと作った時も、まず、「作るぞ」と強く思い、後はただ、趣味のアセンブリ語プログラミングを楽しんでいたはずなのだ。
困難な仕事に挑む時、頭では自分にはとても出来ないと思っても、「しゃんと」して、やり遂げると決め、後はぼーっとして、宇宙に偏在する無限の知恵と力にまかせてしまうのだ。
とはいえ、最初に「気負う」のではない。
どちからというと、「選択する」のだと思う。
私事で言えば、初めてソフト開発の仕事を受託した時、私は、「わりとベテラン」という売り込みだった(笑)。
仕事を見事受託し、車を運転して帰る時のことを、昨日のことのように思い出す。
とても自分に出来るとは思えなかったが、もう受託してしまった。やるしかない。
それで、もう何も考えないことにした。
そして、3ヵ月後、受注先の部長は「さすがプロ」と言っていたらしい。
アントニオ猪木さんが、重要なこととして本によく書かれていた「開き直り」という言葉を思い出す。
絶望的な状況でも、開き直ってしまう・・・何も考えず、ぼーっとしてしまうことが大切だ。
「もうどうにでなれ」ではあるが、自暴自棄になるのではなく、「しゃんと」し、何とかなることを選ぶのである。









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