バラク・オバマが大統領時代、彼が、「アメリカ国民全てがプログラミングをマスターして欲しい」と言ったという記事を、Webでよく見た。
だが、英語の演説の内容を見ると、テクノロジーが分かるとメリットが大きいみたいなことが書かれてあるだけだったと思う。
もし、本当にオバマが「誰もがプログラミングをやるべき」と言ったとしたら、彼は馬鹿者だが、おそらく、そうではなかった。
プログラミングを学ぶとすれば、プログラミングに興味がなければならない。
アインシュタインが、「興味のない勉強を強要することは、空腹でない動物に無理矢理、餌を食べさせようとするようなもの」と言ったが、それもそうだし、もっと重要な間違いがある。
興味・・・関心と言い替えても良いが、関心とは愛なのである。
学びは、愛を持ってやるべきであり、興味のない、愛のないことをやっても、それを人々や世界のために役立てることは出来ない。
また、愛を持ってやらないと、想像力や創造力を育てることが出来ない。

大学進学を目指す高校生に「これからはエレクトロンクスだから、電子工学科に入れ」みたいなことは、いつの時代でも言われると思う。
その高校生が大学を出る時も同じことが言えるかどうかは全く分からないし、そもそも、一番大切なことは、その分野に興味があるかどうかである。
大学生だって、昔はよく、広告業が「花形」で「給料が高い」なんて理由で就職先に選んだが、インターネットの発達で駄目になってしまった。
今でも、似たような理由で就職先を選ぶ大学生も多いだろうが、馬鹿な話である。
仮に、本当に業界としては伸びていても、自分にとって興味がなければ、仕事は面白くなくて、人生そのものが暗くなる。
昔、大手リクルート会社の役員に、「大学まで出て塾の先生になる者って、落ちこぼれなんですよ。だって、やることは分かってるじゃないですか?要するに、先の分からない世界に飛び込んで冒険をする勇気のない連中なんです」と言われたが、その頃、私は塾業界に関わり始めたので、試しに塾の先生に、「なぜ塾の先生になったの?」と尋ねたら、曖昧な答が多かった。後に出世したある先生は「自分が通っていた塾の先生が良かった」みたいな理由を挙げていたが、それが一番マシな答だった。
個人的には、塾や予備校のどこにも興味はないが、彼ら(塾の先生)も実は同じではないかと思う。皆、安定性や安心に興味があるだけなのだと思う。
そもそも、塾や予備校そのものに興味がある人は滅多にいない。

数年前、初音ミクさんのお父さん、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の講演会に行った時に、伊藤さんのお話をタブレットPCでメモした中に、
「仕事じゃなく、楽しいからやる」
という言葉があった。
「皆さんが喜んでくれるからやる」
というのもある。
人を喜ばせるのは楽しい。そして、それが自分の好きなことなら最高である。

ただ、楽しいからと言って、飲食の楽しさ、優越感を満足させる楽しさ、性愛の楽しさは、我の楽しさであるから、あくまで予備的にやるべきである。
そういうことを、アインシュタインと梅宮辰夫さんが強調していたのを覚えている。
梅宮さんは、ライフル、剣道、料理、釣りと趣味が多く、非常に熱心であったらしいが、結果、仕事によく生きていると思う。
アインシュタインは、「物理学は趣味で、別に大したものとは思っていない」と言っていたが、要するに、とても楽しい趣味なのである。
チームラボの社員募集の要項のトップに「オタクであること」と書かれていたことがあったが、今は書かれていないとしても、それが普遍的に大切なことである。
何かのオタクでない人間には大したことは出来ないし、人生の意義も見出せないだろう。
オタクでない人間は反省しなければならない。
スティーブ・ジョブズは「愚かであれ。ハングリーであれ」と言ったが、これは、オタクが好きなものを求めることを言ったのであることは間違いないと思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ