笹川佐保さんの時代劇『木枯し紋次郎』のヒーロー、紋次郎は腕の立つ渡世人である。
渡世人とは、本来、博打打ちという意味で、紋次郎も博打は重要な収入源なのだろう。
しかし、紋次郎の場合は、旅先でヤクザの親分の家に宿泊し、翌朝、出立の時に草鞋銭をもらう場面が多い。
なぜ、それで金がもらえるのかと言うと、宿泊中に、出入り、つまり、ヤクザ同士の喧嘩が起こったら、必ず加勢する義務があるからだ。
紋次郎ほどの腕があれば、どこでも歓迎され、草鞋銭も、要求せずとも高価になる。
実際、紋次郎の腕は素晴らしく、並のヤクザなら、十人程度では太刀打ち出来ない。
元々、武士として剣術の修行をした浪人や渡世人で、その剣が達人レベルであれば、紋次郎も自分の我流の喧嘩剣術が通用しないことはよく知っているが、大した腕前でなかったり、腕が錆びついた武士なら恐れはしない。
しかし、正式に剣の修行をしたことがない紋次郎が、なぜ、そんなに強いのだろう?
小説とはいえ、全くの空想ものでないだけに興味があった。
ところが、『木枯し紋次郎』の第二部とも言えるシリーズの『帰って来た木枯らし紋次郎』で、その謎が解けた気がする。
『木枯し紋次郎』では、30歳そこそこであった紋次郎も、『帰って来た木枯らし紋次郎』では38歳になり、衰えが忍び寄ってきていた。また、栄養が十分には程遠いこともあってか、心臓が弱っていた。
それである日、本来なら、何でもないはずのヤクザ者数名の敵を相手に苦戦し、挙句、刺されてしまう。
急所は外れていたが、そのままでは死んでいたはずだった。
ところが、倒れて気を失っていた紋次郎は、10年前、なりゆきで盗賊の浪人から命を救ってやった友七という豪商の主に見つけられる。人格者で、紋次郎に深い恩を感じていた友七は、紋次郎を医者に治療させ、命を取り留めると、紋次郎を手厚く遇した。
紋次郎は快適で豪華な住居を与えられ、三度の食事もデラックスなものが振る舞われた。
友七は紋次郎に、生涯、自分の家に居るよう、心から勧めた。
だが、紋次郎は少し元気になると、友七への義理もあって、出て行きはしないながら、仕事をさせてくれと友七に願う。
友七は「とんでもない。お客様に仕事などさせられない」と断るが、紋次郎もそこは譲らない。
止む無く、友七は、紋次郎が薪割(まきわり)をすることを認めた。
友七は旅館を商っていて、当時の旅館では、薪は大量に必要だった。
ところが、ちょっと驚いたことになった。
紋次郎の仕事振りは恐ろしく優秀で、毎日、良質な薪が大量に出荷されたのだ。
実は、紋次郎は、若い頃、無宿渡世人になる前、木こりで食べていた。
毎日、山に入り、木を切り倒し、それを運び、そして、薪を割った。
木を運ぶことで足腰が鍛えられ、長時間、熱心に薪を割ることで「切る」能力が身に付いたのだ。
それが、剣の達人をして、紋次郎の戦い振りを見て「やるな」と言わせた、紋次郎の実力の秘密だった。
1920年代、テニスプレーヤーとして全英ベスト4、全米ベスト8、世界ランキング4位にまでなった清水善造は、海外の一流プレーヤーと比べれば、明らかに技術は劣っていても(良いコーチに就いたことがなかった)、これほど強かったのは、中学生の時、毎日長時間の草刈りをしたからで、それで、清水のスナップ(手首を捻って効かせる力)が鍛えられ、実際、清水のラケットの振り方は草刈りの形が色濃く残っていた。
2016年の映画『ベン・ハー』で、最後、戦車競技(馬車をぶつけ合いながら走るレース)で、ユダがメッセラに勝った要因は、ユダが5年の間、ガレー船(戦艦)を漕ぐ奴隷をして身に付けた、「引く力」だった。その力で手綱を引いて離さなかったことで、ユダの戦車(戦闘用馬車)は姿勢を維持し、メッセラの馬車は転倒した。
イチローやテッド・ウィリアムズ(メジャー最後の4割打者)は、少年時代から誰よりも多く素振りをした。
木村政彦の腕立て伏せ毎日千回や、カール・ゴッチのヒンズースクワット毎日1万回は、彼らの異常体質が可能にした面はあるが、やはり、それが彼らの恐るべき強さの秘密だろう。
大東流合気術の達人で数学者の木村達雄さんは、四股(相撲のものとはかなり異なる)を毎日2千回踏んでいたという。
いかなる超人、達人にも、必ず、このようなものがあるのだと思う。
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渡世人とは、本来、博打打ちという意味で、紋次郎も博打は重要な収入源なのだろう。
しかし、紋次郎の場合は、旅先でヤクザの親分の家に宿泊し、翌朝、出立の時に草鞋銭をもらう場面が多い。
なぜ、それで金がもらえるのかと言うと、宿泊中に、出入り、つまり、ヤクザ同士の喧嘩が起こったら、必ず加勢する義務があるからだ。
紋次郎ほどの腕があれば、どこでも歓迎され、草鞋銭も、要求せずとも高価になる。
実際、紋次郎の腕は素晴らしく、並のヤクザなら、十人程度では太刀打ち出来ない。
元々、武士として剣術の修行をした浪人や渡世人で、その剣が達人レベルであれば、紋次郎も自分の我流の喧嘩剣術が通用しないことはよく知っているが、大した腕前でなかったり、腕が錆びついた武士なら恐れはしない。
しかし、正式に剣の修行をしたことがない紋次郎が、なぜ、そんなに強いのだろう?
小説とはいえ、全くの空想ものでないだけに興味があった。
ところが、『木枯し紋次郎』の第二部とも言えるシリーズの『帰って来た木枯らし紋次郎』で、その謎が解けた気がする。
『木枯し紋次郎』では、30歳そこそこであった紋次郎も、『帰って来た木枯らし紋次郎』では38歳になり、衰えが忍び寄ってきていた。また、栄養が十分には程遠いこともあってか、心臓が弱っていた。
それである日、本来なら、何でもないはずのヤクザ者数名の敵を相手に苦戦し、挙句、刺されてしまう。
急所は外れていたが、そのままでは死んでいたはずだった。
ところが、倒れて気を失っていた紋次郎は、10年前、なりゆきで盗賊の浪人から命を救ってやった友七という豪商の主に見つけられる。人格者で、紋次郎に深い恩を感じていた友七は、紋次郎を医者に治療させ、命を取り留めると、紋次郎を手厚く遇した。
紋次郎は快適で豪華な住居を与えられ、三度の食事もデラックスなものが振る舞われた。
友七は紋次郎に、生涯、自分の家に居るよう、心から勧めた。
だが、紋次郎は少し元気になると、友七への義理もあって、出て行きはしないながら、仕事をさせてくれと友七に願う。
友七は「とんでもない。お客様に仕事などさせられない」と断るが、紋次郎もそこは譲らない。
止む無く、友七は、紋次郎が薪割(まきわり)をすることを認めた。
友七は旅館を商っていて、当時の旅館では、薪は大量に必要だった。
ところが、ちょっと驚いたことになった。
紋次郎の仕事振りは恐ろしく優秀で、毎日、良質な薪が大量に出荷されたのだ。
実は、紋次郎は、若い頃、無宿渡世人になる前、木こりで食べていた。
毎日、山に入り、木を切り倒し、それを運び、そして、薪を割った。
木を運ぶことで足腰が鍛えられ、長時間、熱心に薪を割ることで「切る」能力が身に付いたのだ。
それが、剣の達人をして、紋次郎の戦い振りを見て「やるな」と言わせた、紋次郎の実力の秘密だった。
1920年代、テニスプレーヤーとして全英ベスト4、全米ベスト8、世界ランキング4位にまでなった清水善造は、海外の一流プレーヤーと比べれば、明らかに技術は劣っていても(良いコーチに就いたことがなかった)、これほど強かったのは、中学生の時、毎日長時間の草刈りをしたからで、それで、清水のスナップ(手首を捻って効かせる力)が鍛えられ、実際、清水のラケットの振り方は草刈りの形が色濃く残っていた。
2016年の映画『ベン・ハー』で、最後、戦車競技(馬車をぶつけ合いながら走るレース)で、ユダがメッセラに勝った要因は、ユダが5年の間、ガレー船(戦艦)を漕ぐ奴隷をして身に付けた、「引く力」だった。その力で手綱を引いて離さなかったことで、ユダの戦車(戦闘用馬車)は姿勢を維持し、メッセラの馬車は転倒した。
イチローやテッド・ウィリアムズ(メジャー最後の4割打者)は、少年時代から誰よりも多く素振りをした。
木村政彦の腕立て伏せ毎日千回や、カール・ゴッチのヒンズースクワット毎日1万回は、彼らの異常体質が可能にした面はあるが、やはり、それが彼らの恐るべき強さの秘密だろう。
大東流合気術の達人で数学者の木村達雄さんは、四股(相撲のものとはかなり異なる)を毎日2千回踏んでいたという。
いかなる超人、達人にも、必ず、このようなものがあるのだと思う。
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性格は優しくて温厚、真面目で努力家。
自分もそのような人になりたいものです。