学校や会社の中の、可愛い女の子が突然、「私、宇宙人なんです」とか「私、未来人なんです」と言ってきたら、どうするだろう?
『涼宮ハルヒの憂鬱』で、長門有希や朝比奈みくるらに、そう言われた、主人公の高校1年男子、キョンは、相手が美少女ということもあり、露骨な反発は示さなかったが、困惑し、頭を抱えた。もし、古泉一樹(高1男子)が最初に、「僕、超能力者です」と言ってたら、キョンはモロに怒っていただろう(笑)。

『To LOVEる』(2006~)では、ララが宇宙人であると言われても、リト(高1男子)の妹(小6)も父親(漫画家)も、さらには、クラスメイト達も、さして驚かず、スンナリ受け入れた。
『まちカドまぞく』(2019/7~)では、ある日突然、優子(高1女子)に角と尻尾が生え、自分は魔族であると言っても、学校の友達らは、何の躊躇もなく、事実を受け入れ、態度も全然変えない。
漫画やアニメのこととはいえ、何て良い世界になったのだろうと思う。

『BEM』(2019/7~)は、1968年のアニメ『妖怪人間ベム』のリメイク作品であるが、『BEM』でも、『妖怪人間ベム』同様、醜く恐ろしい姿の妖怪人間達は、人間達に強く忌み嫌われるが、『BEM』では、わずかではあるが、そうではない人達もいた。
(『妖怪人間ベム』でも、1人の少女がベロの妖怪人間の姿を見て、最初は驚いたが、すぐに好意を見せた)
『BEM』で、ベラの人間形態であるアナベラ(女子高生)を愛するロディ(アナベラの同級生)は、それがアナベラだと知らずに、突然、本当の姿のベラを見た時、「なんて美しい」と思い、憧れ、それがアナベラだと知っても、彼女を慕う心は全く変わらなかった。
また、最初は、ベムの妖怪人間としての姿を見て恐れ嫌悪したサマーズ捜査官(女性)は、ベムの行いを見て、ベムを信頼する。
アニメとはいえ、良い作品であるだけに、そのような状況は嬉しく感じる。
どうも、私も人間ではないようだ・・・と言うより、私は子供の時から、人間であることに違和感があり、ベム達に親しみを感じたものだ。

ジョージ・アダムスキーによれば、1950年代には、地球人に混じって生きている宇宙人は結構いるということだった。
ひょっとしたら、あなたも、知らずに宇宙人と接しているかもしれない。
じゃあ、どんなのが宇宙人か見分けが付くかというと、多分、付くと思う。
おそらく、宇宙人には、我というものがほとんど、あるいは、全然ないだろう。
だから、自慢することはないし、他人を見下すこともない。自分が優秀だとか、頭が良いとか冗談でも言ったりしないし、そんな態度も見せないだろう。
それでいて、実際には、人間と隔絶した能力があるのだ。
宇宙人と出会えるのは、最初に書いた漫画やアニメの中にいた、宇宙人や未来人や魔族を平然と受け入れる、偏見やこだわりのない人だろう。
そして、そんな面白いものを避けるなんてことは、神様の意図にも反しているに違いない。
そういえば、ゲーテの『ファウスト』でも、ファウストは悪魔メフィストフェレスをあっさり受け入れ、若い町娘グレートヒェン(マルガレーテ)に夢中になった時には、彼女に贈り物をしよと、メフィストに「悪魔なら何か素晴らしいものを出せ」とトンでもないことをねだっていた(笑)。

これからは、偏見のない受容性の高い人間の時代だ。
そのような人間であれば、必ずや幸運にも恵まれるだろう。








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