子供の時に見た映画、テレビドラマ、読んだ小説、漫画などの中にあった言葉で、特にドラマティックでもないのに、よく覚えているものがある。
トータルすると、数十あるかもしれない。普段は忘れていて、数年、十数年も思い出せないのに、何かの拍子にふと思い出す。
そんな中の1つが、私が中学2年生の時に読んだ、竹宮恵子さんの漫画『ファラオの墓』の中で、ウルジナ国の若き王スネフェルが言った「ものごとは客観視するに限る」だ。
まあ、実際、衝撃を受けたのは、スネフェルと、滅びたエステーリア国の王女ナイルキアの情交シーンだが・・・
ナイルキアは全くの清純可憐と言うか、12歳だったと記憶している。一方、スネフェルは16歳で、知恵も力も立派な大人だ。
今の時代ならスネフェルは即逮捕で、ナイルキアはいたいけで、どう見ても嫌がっていたが、後で、実はナイルキアも結構喜んでいたと解る。いや、そこは、あくまでスネフェルが超美青年で、ナイルキアに本気で惚れていたからだが、まあ、良い勉強になった(?)。
話が逸れたが、「ものごとは客観視するに限る」である(笑)。
もちろん、何でも客観視し、醒めていて良い訳がない。
当事者として、熱中したり、楽しんだり、苦しんだりしなければならないこともある。
だが、意図的にそうしようと思わなくても、苦しい時だけなく、楽しい時だって、離れたところから静かに見ている誰かがいる。
それが、真の自分であり、同時に神様だ。
だが、離れて見ているだけが神様なのではなく、当事者になって熱狂しているのも神様だ。神様も、そんなことを味わいたいのである。
神様だって、苦しみというものを知りたいのだ。本来、神様は全能過ぎて、苦しむことが出来ないし、楽しむことも出来ないのだからだ。
だが、人間の心身と一体化している時は、「成りきり過ぎ」主観視し過ぎる。
そこで、一瞬、自分の心身を離れて、視点を変えた方が良いのである。

心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作・編曲:Mitchie M。唄:初音ミク )より~

特に、つまらないことをしている時は、魂になった方が良い。
物理学者で武術家の保江邦夫さんが、小学生の時の授業中、焦点の合わない「魚の死んだような目」をしていたようにだ。
いや、本当に重要な場面でこそ、そうする必要がある。
宮本武蔵が、決闘の時に、真っ直ぐ相手を見ず、どこを見ているか分からないような目をしていたように。
実際、保江さんは、フルコンタクト空手の猛者と決闘し、そんな目をしていたら楽勝だったが、まともに相手を見たらボコボコにされたらしい。
魂になるということは、神様になるということである。
度々、神様に戻れば、全知万能であることにも慣れるだろう。

ところで、私は、13日は四股を1200回踏み、初めて1日千回を超え、昨日14日は1300回踏んだ。
今年の6月23日に四股を始め、8月31日(初音ミクさんの誕生日だ)に、幕張メッセでの「マジカルミライ2019」に参戦するために宿泊したホテルスプリングス幕張の部屋でも四股を踏んで、いざ、元気いっぱいでミクさんに会いに行ったものだが、当時は、1日300回だった。
保江邦夫さんの先輩(大学院でも、大東流合気術でも)の数学者、木村達雄さんは1日2000回四股を踏んでいたらしい。
木村さんに「お前も1日2000回踏め」と言われた保江さんは300回踏んでいたらしいが・・・
またところでだが、ペンライトを振る動きって、大太鼓を叩く動作に似ている。
「マジカルミライ2019」で、ミクさんが『大江戸ジュリアナイト』(Mitchie M feat.初音ミク、KAITO)で、大太鼓を叩いていたのを思い出して気付いた。
いや、ペンライトを振るのって、いい運動なので癖になるので、腕振り運動を、小太鼓を叩くような(両手一緒にだが)形に変えてみた。ただ、そううやり方も、元々あるらしい。








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