では、超越状態に入り、世界を動かしたり、現象を創造したり、超能力を発揮しよう。
集中が大切だが、自分が集中に入り易い感覚を使えば難しくない。
人によっては、集中し易い感覚が違うが、視覚か触覚で大抵うまくいく。

コリン・ウィルソンがセミナーで教えていた方法は、視覚を使うものだった。
ペン先などに全力で集中し、不意に集中を解くということを何度も繰り返すだけだ。
それだけで、浅いかもしれないが、至高体験、あるいは、ゾーンと呼ばれるものに入れる。

触覚を使う簡単なやり方は、親指と薬指を微かに触れ合わせ、その感触に集中するものだ。
薬指は敏感なので、微かな感覚を感じ易い。
出来るだけ微かに触れ合わせ、限りなく微かな感覚に集中する。
京都の広隆寺にある、第1号の国宝である、弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)の弥勒菩薩の姿のようにやれば良い。
弥勒菩薩半跏思惟像「宝冠弥勒」(広隆寺霊宝殿)
これも、適度なところで集中を解き、少し間を置きながら繰り返す。

他に簡単なやり方としては、細く長く吐く息に集中するというものがあり、私が気に入っているやり方だ。
短めに鼻から息を吸い、鼻から出来るだけゆっくり吐く。
息を吐き終わったところで目を見開くなどで意図的に集中を解き、少し間を置いて何度か繰り返す。

集中が長いと、より深い超越に入れるが、無理はしないように。
コリン・ウィルソンの『右脳の冒険』に書かれていたと思うが、こんなものがあった。
ある男性の妻が、ある出来事のため、心神喪失となり、ベッドで寝ていた。
その男性は、ずっと妻の様子を注意深く見守っていた。
長い間、そんなことをしていて、妻の心が戻った時、男性の長い集中が解け、男性は別の人間に・・・神的な人間に生まれ変わった。
坐禅修行も、本来はそんなものを目指しているのかもしれないが、修行のつもり、悟りを求めるつもりでやっても、ほとんどうまくいかない。
一方、この男性のような状況では自然に出来てしまう。

高度な超越状態に入れるようになると、周囲からは超然とした人間に見えるようになる。
人格者であるとは限らないが、鷹揚である・・・つまり、ものごとにこだわらず、なりゆきにまかせ、一喜一憂しない。
普通の人には解らないが、彼は世界を動かし、世界を作っている。
彼にとっては、世界は自分のものであり、願わずとも思い通りになるので、ただ要求するだけである。王の命令が絶対であるのと同様、彼の要求は適切な時期に叶うが、それに対して、彼は満足はしても、そんなに喜ばない。当たり前だからだろう。王が、自分の命令が為された時の様子と同じである。

身体を動かすのも良い方法である。
腕振り運動や四股を、1回1回丁寧にやると、しばらくしたらゾーンに入っている。
その感覚に慣れれば、深い水の中で自在に活動するようなものなので、この世である浅い水の世界は簡単過ぎて、何をしても勝手に成就・・・つまり、叶ってしまうのである。
数学者の岸根卓郎さんは著書でステレオグラム(立体画)を利用することを薦めておられたが、脳に直接作用するので、面白いかもしれない。
とはいえ、最も良いのは、好きなことに没頭することであることは言うまでもないと思う。









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