『ベン・ハー』は、ルー・ウォーレスが1880年に発表した小説で、これを基に何度も大作映画が作られた。
ルー・ウォーレスは、Wikipediaによれば、「弁護士、州知事、南北戦争のときの北軍将軍、アメリカ合衆国の政治家および著作家」と、社会面で実に優れた人間のようだ。
『ベン・ハー』のクライマックスは、主人公の元貴族ユダ・ベン・ハーと、ユダの幼馴染だったメッサラの戦車競技の対決だ。
戦車と言っても、近年の大砲の付いたアレではなく、基本は馬車なのだが、荒っぽいレース用に作られ、ぶっつけあって戦うように作られている。
ユダは名門貴族の跡取り息子だが、メッサラはその家で拾われた孤児で、ユダと兄弟のように育つが、そこはやはり孤児で、ユダはそうではなくても、メッサラに対する家の中での扱いは違ってくる。
それに耐えられず、メッサラは家を出て、ローマ軍に一介の兵士として加わり、何度も死の危機に直面しながら武勲(戦場でのてがら)を立てて、のし上がっていく。
一方、不運もあり、ユダの家は取り潰され、ユダは奴隷としてガレー船のこぎ手にさせられる。
つまりユダは、ガレー船(昔の軍艦)の中に鎖でつながれ、ひたすらオールで船をこがされるのである。
ユダは5年間もガレー船をこぎ、乗っていた船が衝突で破壊された時、逃げることに成功し、運よく生き延びた。
そして、いろいろあったが、遂に、ユダは、今や憎む敵どうしとなったメッサラと共に、トップクラスの騎手達が出場する戦車競技に参加し、他の戦車が次々に破損し退場する中、最後の2人となり、1対1の対決になる。
良い勝負であったが、メッサラはやはり強い。
2016年作品の映画で、ユダとメッサラの戦車が押し付け合い、障害物にぶつかって壊れていく中、不意に、ガレー船をこぐユダの映像が現れる。
オールを力強く引き寄せてこぐユダの姿だ。
最後の勝負を決めたのは、手綱を引くユダの腕力だった。それは、ガレー船で5年の長きに渡って鍛えられたものだ。
ユダは勝ち残り、メッサラは重傷を負い不具者になる。

長々と書いたのは、ユダが、望んでやった訳ではないが、5年、ガレー船をこぐことで得た腕力で大勝負に勝利したことを言いたかったのである。
ガレー船のこぎ手という苦しさなら5年で十分であるが、普通は10年である。
しかし、どんなことでも10年、欠かさず続ければ大きな力を得る。
トータル1万時間と言う説も有力であるが、毎日3時間を10年で、だいたい1万時間だから、同じことである。
ビートルズとビル・ゲイツの、修行時代の演奏とプログラミング時間も、そんなものだったようだ。
ユダは、毎日6時間こいだとすれば、5年で1万時間だ。

私もプログラミングを1万時間超えたあたり(かなり年数を要した)で、恥ずかしくないレベルになった。
だが、サラリーマン10年、いい加減な主婦10年、やる気のない教師10年など、ゆるんだ10年、やらされた10年では駄目と思う。
ユダは、命がかかっていたし、チームとして他のこぎ手のことも考えたので、意思の力が違っていた。
たとえ「妙なこと」でも、10年、想いを込めてやればモノになる。
そして、今後は「妙なこと」が良いかもしれない。
ある程度は、「これでいいのか」と考えることも必要だが、1万時間をかける価値があるなら、人がどう言おうとやれば良い。
まあ、人生で2~4回のチャンスがあるだろうから、1回くらいは駄目でも・・・








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