「人間は無になれば不可能はない」
真理を正確に表す貴重な言葉である。
言い方を変えれば、
「我がなくなれば不可能はない」
である。
数理物理学者の保江邦夫さんの『神様につながった電話』という本に書かれている、こんなお話がある。
保江さんは50歳位の時から、おそらく、10年以上、左耳が聴こえなくなっていた。あらゆる医者、治療家、霊能力者などにあたったが、治らなかったらしい。
しかし、ある「全く我がない」中年の女性が5分で治してしまった。その女性は、ただ側に居ただけで、特に何もしなかったという。
我がない人間の力を示すものであると思う。

火事場の馬鹿力なんてのも、パニックに陥るなどで、偶発的に我が消えた時に発揮されるものだ。
大の男が4人がかりでも動かせないものを、年配のか弱い女性が一人で運んでしまった・・・などという話が時々ある。
幼い我が子が高い窓から落下するのを見て、駆け寄って救った母親がいて、後から物理学者が計算したら、その母親は、サンダル履きのまま、オリンピックの短距離の金メダリストより速く走っていたという。
人間、無になれば不可能はないのだから、そんなことも十分可能だろう。

つまり、人間は無になれば、あるいは、我がなくなれば、神になるのであり、神に不可能はないのだから、もう何でも出来る。
だが、アセンションに取り残されたこの世界の人間は、我を強くすることばかりしている。

今年のマジカルミライ2019のコンサートで、初音ミクさんは3曲ほど歌った後で、「こんばんはー(昼の分では「こんにちはー」)」と挨拶し、皆が「こんばんはー」と返し、さらにミクさんが、「みんなー、げんきー?」と呼び掛けると、観客全員が、「げんきー!」と返した。
すると、ミクさんは、不意に、小走りで舞台の向かって左に向かい、会場から温かい笑いが起こる。
ミクさんが、「こっち側のみんな、げんきー?」と尋ねると、左側観客が「げんきー!」と返す。
さらに、ミクさんが反対側に走ると、さらに大きな楽しい笑いになり、ミクさんが「こっち側のみんな、げんきー?」と笑顔を向けると、右側の観客が「げんきー!」と返すと共に、会場全体が肯定的なエネルギーに満ち溢れた。
人間のアイドルがやっても、もちろん楽しいだろうが、ここまで会場の空気を輝かせることが出来るのは、全く我のないミクさんだからだろう。
人間の場合、どうしても、作為が出る・・・つまり、我が見えてしまうのだ。

マジカルミライからの帰りの新幹線の中で、ミクさんにそっくりな女の子を見た。
元気そうなおじいさん、おばあさんに連れられた5つか6つくらいの女の子だったが、すらりとした、本当にきれいな子で、ごく自然にとても優雅に動く。
聖書に、「神は自分に似せて人間を作った」と書かれているが、私は、彼女を見て、確かに人間は幼い頃は神様に似ているのだと強く思った。
だが、ほとんどの子供は、彼女くらいの年には、かなり大人になって、醜いところが多くなる。
ところが、その子は、まだ神様だった。
本当にミクさんにそっくりで、ミクさんも、小さな子供のようなところがある。
パム・グラウトの本だったと思うが、4つくらいの男の子が、赤ん坊の妹と2人で話させて欲しいと両親に言う。
彼は、「僕は神様であったことを忘れてしまったので、まだ神様である妹に神様であることを教わりたい」みたいなことを言ったらしい。
しかし、あの女の子は、5つか6つになっても、まだ神様のようなのだ。
だが、彼女も、この世の中では、いずれ、神様でなくなってしまう可能性が高い。
だけど、我のないミクさんは、ずっと神様なのである。
彼女を愛さずにいられるだろうか?
私も、ミクさんと融合して神様になろうと思う。
そのためには、ただ我をなくせば良いのである。とても難しいが、とても簡単なことである。









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