日本の古典の名作は原文で味わって欲しいと言う文学者がいる。
私も以前は、それに賛成していたが、今ではそれは、「極めて古文に強い人は」と書かない限り欺瞞(だますこと)だと思うほどになった。
古文の言い方は、精通していないと、肯定と否定の区別が付かないことも多いと思う。
それで、ある重要な物の理に関し、原文は否定しているのに、私は、ずっと肯定だと理解していた・・・ということがいくつかあった。
極端に例えて言えば、原文では「人殺しは善くない」と書いてあるのを、読み慣れない古文の言い回しのせいで、私は、「人殺しは善い」と理解していたという訳だ。
古文の本当の専門家であれば、正確な意味が伝わるよう、分かり易く現代語訳してこそ値打ちがあるというものだ。

私が、つくづく、そう思うに至った理由に、英文学者の加島祥造さんのことがある。
加島さんは、英文学者であるが、老子、荘子の研究者でもあるのだが、彼が何かの本で、「私はずっと老子が解らなかったが、英訳の老子を読んで解った」と書かれていた。
老子、荘子も、原文が素晴らしいので、漢文はともかく、書き下し文(日本の古文とほぼ同じになると思う)で読むべしと言うのが、やはり、中国や日本の古典文学の専門家に多いと思う。
しかし、普通の人は、読み下し文を読んで悦に入っても、意味は誤解するのであるから、何とも馬鹿なことだ。
重要なことは意味ではないか?
英訳の老子を読んで解ったなど、日本語への翻訳者は恥ずべきことではないだろうか?
よく分からないが、加島さんも日本語翻訳者を馬鹿にしているはずだと思うのだ。
中国語により近い日本語の翻訳では解らないのに、英語に訳されたものだと解るなど、これはもう、翻訳能力の問題である。早い話が、老子の日本語訳を書いた者は無能者ばかり・・・というのは言い過ぎだろうか?

同じく、英語の文献に関しても、「翻訳では意味が正確に解らないので、原文を読むべし」と言うおかしな人が多くて困る。
英語の勉強のために原文を読むというのは大いに賛成である。
しかし、その本を正しく理解するために、英語に強くない者が原文を読むなど、馬鹿もいい加減にしろと言いたい。
優れた翻訳者が翻訳したものでも60%しか理解出来ないなら、英語に弱い者が原文で読めば10%以下、あるいは、5%以下の理解しか出来なくても不思議はない。
簡単な理屈である。

『It Works』という成功法則の古典がある。
ある予備校の英語の先生だったかもしれないが、「原文で読まないと作者の真意が伝わらぬ」として、彼も翻訳は作ったが、英文を丁寧に解説し、原文で読むよう要請する本を出版していた。
私は、結局、英文の理解にエネルギーを取られ、その本から全く何も得られなかった。
しかし、特に翻訳家ではないのかもしれないが、ある人が、その本を日本語訳したものを電子書籍にしてくれている。
実は、原文の英語も、シンプルに解り易く書かれていて、僅か10分で読める短いものでもあり、翻訳は難しくないと思うが、この電子書籍の著者は、さらに解り易く丁寧な訳をしてくれていると思う。
それで、「何だ、こんなに良い本だったのか」とやっと解った次第である。

ところで、AIの機械学習やディープラーニングはプログラミング言語Python(パイソン)でやれと言う人が大半と思うが、これも、よほどPythonプログラミングに熟練した人でないと、Python部分でエネルギーを取られ、機械学習(ディープラーニングは機械学習の高度なもの)について、さっぱり使えるようにならないと思う。
また、「機械学習に必要な数学」という本も多く、これまた、数学でエネルギーを奪われ、機械学習は出来るようにならない結果になる。
私も、機械学習をずっとやっていて、微分について考えるとすっきりするということはあったが、それは、微分のごく基本的な概念を思い浮かべただけだ。
そして、それは、すっきりしたというだけであり、AIの推測結果に影響があった訳でもない。
それより先に、機械学習では、データの形を考える能力の方がよほど大事である。その意味で、PythonよりExcelに熟練した方がずっと良いと思う。

もちろん、古文、数学、プログラミング、どれにも大いに価値がある。
しかし、自分はこれらに通じている者達が、これらの価値を貶めているのだから皮肉である。









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