誰でも、子供の時、たまには好きな夢を見ることが出来るように、現実を自由に創る魔法を使っていたはずである。
それを覚えていないとしたら、それが子供にとって、魔法でも何でもなく、当たり前で自然なことだったからだろう。
普通の人で、いくつまでそれが出来るのか分からないが、私の場合、二十歳をかなり過ぎても出来たと思う。
そして、そんなことが出来た理由は何かというと、「子供っぽかった」と言うより「幼稚だった」のだと思う。
だが、外で子供達を見ていると、「こいつ、もう魔法は使えないだろう」と思う子供が多い。
どんな子供かというと、大人を小さくした子供だ。
少し分析的に言えば、「自分は特権を持っている」と思っている子供だ。
普通の大人は、特権意識を持っている。
言い換えれば、「自分は特別だ」と思っているということだ。
社会的身分や資産の大きさに関係なくね。
だが、自分が「世界に1つだけの花」と思うのは別に良いのだが、「だから特別だ」と思うと、普通の大人・・・つまり、愚民になり下がり、魔法の力と無縁になる。
我々は、「オンリー・ワン」ではあっても「スペシャル・ワン」ではないのだ。
別に「私はつまらない者だ」と自分を卑下する必要はないが、「大したものではない」と思えれば良い。
老子が、「低い場所に甘んじる」水を称賛したようにね。

現実を自在に創造する魔法は、特別なものでも何でもない。
だからだろうか、自分を特別な人間と思っている者には、魔法は使えない。
スポーツで、若くてあまり有名でない選手が、オリンピックでメダルを取って、将来を大いに期待されるが、その後さっぱりということがよくある。
その選手は、自分は特別でないと思っていたので、魔法を使ったのだが、ちやほやされて自分を特別視して、魔法を失くしたのだ。
そこから伸びる選手というのは、謙虚と言うか、「どうしてみんな私のやることが出来ないのだろう?」といった顔をしているものだ。
そして、確かに、本当は、みんな同じようなことが、自分らしいことで出来るのである。

自分が特別であるとか、自分は誰にでも愛されていると思うのはやめよう。
そうすれば、自然に特別になるし、誰にでも愛される。
マリリン・モンローなんて、自分は滑稽で、少しも愛されているとは思っていなかったらしいのだ。









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