「切れる」という精神用語の意味は、怒りの感情が、制御可能な範囲を超えることで、正式には「心神喪失」と言う。
「切れる」が一般化した背景には、現代人の多くが、著しく心神喪失に陥り易くなっていることがあるはずだ。
若者の切れ易さが話題になるが、実際は、年齢を問わず、切れ易くなっている。肉体的パワーがある若者が切れると害が大きいことから、特に若者に注意が行っているだけではないかと思う。
ヨボヨボの老人が切れたって、単に煩(うるさ)いというだけのことだからね。

だが、切れ易いことは、もっともっと深刻に考えねばならない。
なぜなら、自分の精神の制御レベルが低ければ、世界の制御などまるでおぼつかない・・・つまり、好きな人生を作れないし、願いも叶わないからだ。
切れ易い者は、不遇に惨めで哀れな人生を送るしかないのである。

親が子を、兄や姉が弟や妹を、あるいは、その逆を切れさせることが多い。
まるで、それが親の子に対する使命ででもあるかのように、巧妙に切れさせる。
実は、それは確かに、ある意味、使命なのだ。
だから、本来は、なるべく早く、家族からは離れた方が良い。

なぜ切れるのだろう?
医学者や心理学者が好き勝手言っているが、まさに好き勝手で、曖昧でいい加減なことを言っている。
だが、いずれにしろ、切れ易いのは、ここで探求はしないが、脳機能の異常である。逸脱と言い替えても良い。
L.ロン.ハバートの「ダイアネティックス」に逸脱の原理が書かれているが、その内容自体は怪しいかもしれないが、現象面は、なかなか的確に捉えていて面白かった。
しかし、おそらく、私の判断ではだが、彼の解決法は全くのデタラメだ。

では、どうやって解決すればいいのかというと、毒には解毒剤、ウィルスにはアンチウィルスだ。
脳というハードウェアは、ホログラフィックな構造で、そう簡単に壊れるものではない。ほとんど脳がない(無脳症)のに、高い知性を持つ者すらいるくらいだ。
問題は、ソフトウェアの方だ。
そして、機能正常化オブジェクト(プログラムの塊)は、脳内に沢山用意されている。それを使えば良い。
切れることでコントロールを失うことがなければ、自分の意志が発したコマンドは脳の神秘領域(一応、こう言うだけだ)に送られ、世界を動かせるし、世界を自由に創造出来る。
自分が切れ易いと思ったら、本気でなんとかしなければならない。
フロイトのやり方は、実際は「ダイアネティックス」と同じで(もちろん、「ダイアネティックス」が後だが)、切れさせる原因になった出来事を再体験することで、その記憶を客観化する方法だ。それも確かに有効な場合もあるが、あまりに実施が難しく、必ずしも上手くいくとは限らない。
とりあえずは、「心おだやかに」と心で唱えると良い。
だが、一番肝心なことは、心の支配権を取り戻す決意をすることなのだ。
あなたは、ハッカーに乗っ取られたクラウドコンピューターの管理者のようなものだ。コンピューターをリブートさせたところで、不揮発性記憶領域にウィルスは残っている。ならば、隅々にまで、正常化プログラムを送り込まねばならないが、その役割を果たすのは、象徴的に言えば、神や天使、あるいは、仏や菩薩の心の一部なのである。
それは、割とそこらにあると思う。
システムコマンドとしては、聖書や仏典の中で見つけられるかもしれない。自分の気に入った言葉で試してみると良いだろう。
ただし、再度言うが、一番大切なことは、心の制御権を取り戻そうという意思である。









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