そろそろ、本格的に超能力を復活させようと思う。
いや、真面目とも言えないが冗談ではないし、不真面目ではないのだが、それほど生真面目でもない。
そう、何事も、9割のいい加減さと1割の生真面目さが大事なのだ。

ただの珍しい偶然に、過大な意味を持たせるのは考えものだ。
しかし、奇跡としか言いようのないことを、意図的に何度も起こしていたのなら、それは必然だし、自分の意志が働いたものだ。
それを、一応、超能力と言っているのである。
現実を自在に創造する。
イメージとしては、H.G.ウェルズの『奇跡を起こせる男』のようなものだが、まあ、あそこまで露骨で下品ではない。
とはいえ、ウェルズだって、未翻訳だが、自伝的小説『ポーリー氏の生涯』で、「人生が気に入らないなら変えてしまえば良い」と言い、それが、コリン・ウィルソン(イギリスの世界的作家で、最も多く日本語訳されている作家とも言われる)の座右の銘となっている。

私の超能力は、子供の時が最も頻繁に起こったと思うが、二十歳過ぎても、結構使えてたし、馬鹿げたほどの奇跡も起こしたものだ。
よく取り上げた話では、以前見た時代劇のある回を録画したくて、ただ録画装置を持ってテレビを見ていたら、本当にそれが始まり、録画出来たのだが、私は特に驚いてはいなかった。
ごく単純に言えば、超能力発動の鍵は、信じきって疑わないことだが、別に、信じようとした訳でもない。
いわば、「疑うことを知らない馬鹿」状態だったのだが、それで子供の時、何度も命拾いしているのだから、まさに馬鹿は尊い。
何をやったかというと、交通量の多い車道に目をつぶって飛び込んだのだ。何度もね。
ただ、「車は来ない」って思ってね。
いや、これは絶対、真似しないで欲しい。
とはいえ、日常では、嫌な先生に嫌な目に遭わされていたし、学校での忘れ物が多いことも改善されなかった。
おそらく、そういった場面では、馬鹿になり切ることが出来ないからだと思う。

偉大なる神道家、黒住宗忠は、阿呆になる練習に励んでいたと言うから、私の言うことも、あながち間違ってはいないかもしれない。
宗忠のイエス並の超能力は、もちろん、どこまで本当かは分からないが、ある流れを感じ、私には信用出来るもののように思えるのだ。
阿呆と言っては失礼だが、私が好きな話がある。
プロレスラーだった前田日明さんがプロレスラーになったきっかけが、ウルトラマンの仇を討つためだったということだ。
ウルトラマン(初代)は、最終回で宇宙恐竜ゼットンに破れたのだが、前田さんはテレビでそれを見て、涙を流して悔しがり「俺が仇を討ってやる」と誓ったらしい。
前田さんは、その時、それほど幼かった訳ではないし、本人も、理屈には合わないことは理解していたらしい。
しかし、そんな思い込みが出来ることが、世界を創造するために必要なのだと思う。









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