心をコンピューターの中に転送することを、いろいろな言い方をする。
古典的には「精神転送」だし、そうやってプレイするゲームをSFではよく「フルダイブ」と言うようだ。
シンギュラリティの概念で知られるレイ・カーツワイルは著書には「脳のアップロード」と書かれている。
その方法は、まだ確定していないし、必ずしも可能と言われている訳ではないが、道筋は見えてきた感じであり、10年以内には実現するのではないかと思う。
では、心がコンピューター(実感としては仮想世界であるが)に送られた時、魂もコンピューターの中にあるのかというと、量子脳理論が正しければ、そうであるということになるかもしれない。
だから、心をコンピューターに送った後、コンピューターが破壊されたら、元の身体に心は戻ってこない。
インターネットのような分散型コンピューティングでは、一部のコンピューターが破壊されても、全体に支障はないことが多いが、擬似人格としての心の機能はそうでも、心の本体・・・意思、クオリア、究極的に魂と呼ばれる人間の本当の実体がどうなるのかは分からない。

いずれにしろ、我々が、コンピューターが作る仮想世界に完全に移転出来るようにはなるかもしれない。いや、なるだろう。
そこでは、誰もが若く美しくいられるし、脳の拡張テクノロジーの進歩で、誰もがIQ200を超える天才になるかもしれない。
しかし、そういうふうにするのが、本当に幸福かどうかは分からない。
一説では、人間は本当は神なのであるが、不自由さを経験するために、この世に生まれているのだという。
なぜ万能の力を押さえ込み、万能でないフリをするのかというと、進歩のためとか、単に楽しいからだとも言われている。
すると、この世界は、我々が神と呼ぶ、高度な知的生命体が作った仮想世界であるということが信憑性を持って推測出来る。
言ってしまえば、我々はゲームキャラのようなものであるが、自分がゲームキャラであることを、意図的にか、自然にか、うっかりかはともかく、忘れてしまい、このゲームキャラを本当の自分だと思い込んでしまっているのだろう。

そうだ。
この世界は、コンピューターが作るシミュレーテッド・リアリティ、あるいは、ホログラフィック・ユニバースである。
我々は、その中の設定されたキャラクターに過ぎず、本当の自分が何であるかは分からないようになっている。
どうすれば、本当の自分を思い出し、万能の力を取り戻せるのかは分からないし、死ぬまで、それは出来ない設定なのかもしれない。
しかし、ゲームのように、各ステージをクリアすることで、レベルアップするのかもしれない。
例えば、ひきこもりステージをクリアして、社会人ステージに入れば、能力が数倍化するとかね。
そして、それが現実的であることを考えれば、この世界がますます、シミュレーテッド・リアリティだと感じられるのである。

だが、どちからというと、我々は作りもののキャラクターであり、操作されていると考えた方が良いと思う。
そうであれば、操作されるに任せた方が良い。
操作している者は、おそらくだが、賢くて、善良で、悪意はない。
むしろ、我々が、悪意を持ち易いキャラクターなのだ。
この世界は仮想世界であり、キャラクターである我々は、プレイヤーに協力的であれば、レベルアップしていけるのである。









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