ネットで見たお話で、ご存知の方もいるのではないかと思う。
ある女性が、普通に学校を出て、普通にお勤めをしていた。
親は、彼女が子供の時から概ね厳しく、モノやお金を大切にするよう躾けたのだと思う。
そして、彼女が結婚する時、親が彼女に渡した預金通帳には、一生やっていけるほどの金額が入っていた。
彼女は、それまで、自分の親が金持ちだと知らなかった。
親は、「今ならあなたに渡しても大丈夫」と言う。
つまり、彼女は、普通の人間としての修行を立派にやったので、大金をもらっても破綻は起こさないようになっていたのだ。

『法華経』に、ちょっと似たお話がある。
国王並の資産を持つ長者が、長年、生き別れになって、長者が親であることを全く知らない極貧の息子に、長者は親だと名乗らずに長年修行をさせ、十分なところで自分が親だと名乗って、息子に財産を譲るというものだ。
『法華経』では、全ての人が、そのような長者である仏の息子や娘なのであると教える。

『新約聖書』の『福音書』では、イエスが有名な放蕩息子の話をしている。
こちらは、大金持ちの父親に財産を分与された息子が家を出て、自堕落になって財産を使い潰し、食べていくことも出来なくなって、父親に使用人に雇ってもらおうと家に戻ると、父親は温かく迎えて、良い服を着せ、立派な牛を屠って料理させるが、それを見た、長年父親に真面目に仕えてきた兄が不満を言う。
すると、父親はその兄に、「私のものは全部、お前のものなのだ」と、不満が的外れであることを教える。
もちろん、大金持ちの父親は神で、放蕩息子は我々のことである。

つまり、どんな生き方をすれば、仏や神である、潜在意識の中の無限の力を使えるようになるかということだ。
逆に言えば、生き方、そして、それを決める精神を、どのようにすれば良いのかということだ。
修行せい、修行を・・・である。
で、どんな修行をするかだ。
スーフィーの格言によれば大したことはしなくて良い。
「神を信頼しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
である。
世の中には、ラクダもつないでおかない者が多い。
だが、たったそれだけをやれば、お宝はあなたのものである。









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