アンネ・フランクは、ナチス強制収容所で若くして死んだのだと思われる。
それは、運が悪かったとも言える。
また、ヴィクトール・フランクルは、強制収容所から奇跡の帰還を果したが、強制収容所では筆舌に尽くしがたい 苦しみを味わった。
死なずに済んだとはいえ、やはり、ツイてなかった。
運はただの偶然かもしれないが、そうでないとしたら、彼らに何の落ち度があったのだろう?
私は、フランクルの『夜と霧』は熱心に読んだが、『アンネの日記』は最初の方を少ししか読んでいない。
アンネ・フランクは、概ね、世界中で愛されているのだと思うが、私は、あまり好きだと思わなかった。
自慢癖があるし、駄目な男の子には優しくない。
もちろん、それが普通であるが、そんなことは、あまり知りたくない。

こんな話がある。
数十年くらい前のことと思うが、やや政情不穏な国で電車に乗っていた男性が、トイレに行ったら使用中だったので、別の車両のトイレに行った。
すると、彼が元居た車両が爆撃され、もし、トイレが空いていたら、彼は死んでいた。
その時、彼は、世の中の全ては偶然の連続であると悟ったらしい。
運も不運も、ただの偶然であるということだ。

一方、妖怪人間ベムは、正しいことをしていれば、いつか必ず人間になれると信じていた。
根拠は全くなかっただろうが。
しかし、見ている者は、それを好ましいと思うだけでなく、やはり、そうであるという、確証はないが確信は感じるのである。
その通りだ。
善いことをすれば良いことがある。
悪いことをすれば悪いことが返ってくる。
ヴィクトール・フランクルは、強制収容所の中で、自分が生きることに精一杯の時でも、理性や善意を失わなかった。
だから生き延びることが出来たのだと思う。
こう言ったら、「では死んだ人達には善意はなかったのか?」という極端なことを言う者がいるかもしれないが、無論、そんなはずはない。
意思の強さの問題があるし、ものごとの原因は複雑だ。
だが、守護天使に恥じない行いをしている限り、そして、何か1つでも、自分を磨くことを欠かさずやっている限り、自ずとうまくいくだろう。










↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加