世の中でうまくやっていくのに必須のスキルは、他人と仲良くやっていけることだ。
これはもう絶対に否定出来ず、自分の子供を、人付き合いの出来ない人間に育ててしまう親ほど、愚かで断罪されるべき者はいないが、その責任すら全く問われない。

ところが、人付き合いの上手い人間の中には、高い能力を持たない者が往々にして多い。
人付き合いは抜群に上手いが、恐ろしく何も出来ない馬鹿という者も時たまいるほどだ。
逆に、人付き合いが苦手な者の中には、能力が高い者がよくいるし、全く人付き合いは出来ない天才もいる。
極端に言えば、画家のサルバドール・ダリや、ピアニストのグレン・グールドらは、一流のプロが決して少なくはない世界で世界一というほどの天才だったが、他人と上手くやっていこうなどとは全く思っていなかった。
しかし、ダリやグールドのように生きられる人間はいない。

ただ、天才とは言えないかもしれないが、人付き合いの下手な者の中に、能力が高い人間はいるものである。
そりゃ、人付き合いはエネルギーが要るが、そのエネルギー、そして、人付き合いに必要なかなりの時間が余るのだから、それを能力の向上に当てれば、そりゃ優秀にもなる。
問題は、人付き合いが駄目なので、その折角の能力を生かせない危険が大きいことだ。

人付き合いより能力を優先せよとは、なかなか言えないと思う。
それが達成出来ても、楽しく生きられる可能性は、そんなに高くはない。
人類の6割はプログラミングをマスターする能力がないと言われる。
私も、本当かもしれないと思う。
昔、パソコンの黎明期、パソコンで使えるプログラミング言語はBASICしかなく、また、当時のパソコンはBASICでプログラミングをする以外に、実用的に出来ることは何もなかったが、BASICプログラミングを十分にマスター出来る者は百人に一人とか言われた。
だが、それは、外国語の習得と同じで、単に時間がかかるというだけのことで、根本的な頭の良さが求められる訳ではない。
だから、友達がいなくて、趣味もなく、時間が余っている者がプログラミングをマスター出来るというだけのことだ。
言ってみれば、人類の6割は、人付き合いや趣味に忙しくて、プログラミングなどやっていられないのである。
もちろん、私も暇だったからプログラミングをマスター出来たのだ。

みきとPさんの人気曲『いーあるふぁんくらぶ』では、中国語のレッスンに励む女の子が、「リア友は少し減ったけど」と歌うが、外国語もプログラミングも、高度な習得には、「少し減る」程度で済まない。友達など全く顧みず、外国語オタク、プログラミングオタクになる必要がある。
そこまで行かなくても、パソコンに詳しい者というのは、友達が少なくて暇だからそうなったという場合が多いと思う。
(ところで、「リア友」って、中国語で、「三次元的盟友」なのだろうか・・・面白い)

せっかく、音楽や絵の才能があるのに、友達が多くて、その付き合いに時間とエネルギー、そして、金を注いでしまって、プロになるスキルを持てないという者が多い。
ひょっとしたら、人間は、何らかの分野で人に抜きん出ることが出来るかもしれないが、それにはやっぱり暇が必要なのである。
最近、このブログであまり話題にしないが、会社の中に、何をやってもまるで駄目な、まるで駄目男がいるが、不幸なことに、職場に中に、飲み会や遊びに、まるで駄目男を誘う「親切な」者がいるのだと分かった。なるほそ、まるで駄目男が進歩しない訳だ。私は完全に見捨てている。

最初、人付き合いが一番大切と言っておいて、何だか、下らない人付き合いなんかやめて能力を磨けと言いたい雰囲気になってきた。
選ぶのは自分だ。
だが、どうしても他人と仲良く出来ない者の選択肢は1つ。
下らないことに時間とエネルギーとお金を注がずに、自分を高めるために、それをたっぷりと使うことだ。
それで上手くいくとは限らない。
むしろ、能力はあるのに浮かばれない者の方が多いかもしれない。
ただ、そこは、天才でない限りだが、謙虚さがあるかどうかだけの差と思う。
上には上がいるし、一人の力なんて大したものではない。
それを忘れなければ、そう不幸にはならないだろう。









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