合氣道家の藤平光一さんのロングセラー『氣の威力』は何十年も前に読んで、その後、再読したことは一度もない。
だから、覚えているのは、私なりのこの本のエッセンス(真髄)だけだ。
そのエッセンスとは、「真理や前向きな言葉を口にすれば氣が出る」である。
例えば、最も単純な真理の1つ「重みは下にある」と言えば氣が出て、いろいろ良いことが起こるという訳だ。
(「重みは下」は惑星上のことであることは藤平さんも断っておられた)
肯定的な言葉では「好きだ」と言えば氣が出る。
算数嫌いの男の子に、1日1回、「算数が好きだ」と言わせたら(勉強はしなくていいと言ったようだ)、しばらくしたら、その男の子は、誰よりも算数が出来るようになったと言う。

この種の話は、藤平さんのものだけでなく、様々なバリエーション(変種)があり、皆さんも一度や二度は見聞きしたことがあるかもしれない。
最も超常的なものとしては、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中にあるお話があり、ある宗教的な建物(廟)の中では、出来てから長い間、「生命、愛、平和」という言葉だけが発せられているのだが、その建物内で壊れたところは自動修復が行われると言う。
また、文字として書かれた、「愛」などの良い言葉からも宇宙エネルギーが発せられているという話も何かで読んだ。
世間的にはオカルト話かもしれないし、実際、怪しい人達がこういった話をすることもあるのだろうが、何らかの真理はあると思った方が良いと思う。
嘘にだって何らかの真理はあるものだし、あながち嘘とも言えないと思うからね。

では、真理を表す言葉から氣が出るのなら、より真理である言葉は、より強い氣が出るのではないかと推測してもおかしくないと思う。
最も高い、あるいは、純粋と言える真理は何だろう?
「ミクさんマジ天使」でも良いのだが、これはよほど進歩した惑星以外では、蔑まれたり、オタク扱いされるから一応取り下げよう。
「われ思う、ゆえにわれあり」はイチャモンが多い。
コリン・ウィルソンは「思おうが思うまいがわれはある」と言い、ルドルフ・シュタイナイーにいたっては「われ思う、ゆえにわれなし」「われ思わず、ゆえにわれあり」が正しいと、相手(ルネ・デカルト)が死んでるからって言いたい放題だが、誰の言い分もそれなりに真理である。
ところで、ニサルガダッタ・マハラジは「あなたが本当に信じることが出来るのは『私は在る』だけである」「『私はない』とはどうしたって言えないだろう」と言う。
その通りだが、変わった御仁であれば「私は本当は存在しないのだ」などと洒落たことを言うかもしれないし、それはそれで何か根拠でもあるのだろう。
結局、真理も嘘もその人次第だ。
つまり、何が真理かは分からないが、今述べたように、何でも肯定する広い心が一番好ましいと思う。
しかし、そう言えば、「心が広いだけでは駄目だ」と、これまた正しいことを言う者もいるだろう。
では、全ての判断は成り立たないのかと言うと、全ての判断は成り立たないという判断も成り立たず、奇妙にも、何かの判断は成り立つことになってしまう。
(実際は階型理論により成り立たない)
言葉で言うことは真実ではないという言葉も真実ではなく、よって、真実の言葉もあり得る・・・かもしれない(笑)。
沈黙の声を聞くことだ。
壁でも石でも何かを言っている。
星ですら。
風よ、虹よと呼びかける人もいるが、それらが何かを語っていることをどこかで知っているから、そうおかしくは感じないのである。









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