社会でうまくやっていくには、やはり学歴は力になる。
特にスタート時点で学歴は役に立つが、何事も最初は肝心だ。
だから、不況になっても教育産業は衰えないと言われてきた(最近は怪しくなりつつあるが)。
だが、学歴があろうが、実際に能力が高かろうが、容姿に恵まれていようが、一番大切なものは、他人とうまくやっていく能力なのだが、このスキルをほとんど持っていない者が多くなった。
元来で言えば、本当に頭が良くてIQが高い人間は、他人と仲良くすることは難しくないはずだが、そんな恵まれた人間に、他人を嫌悪する者が多くなっている。
これは、本当は不思議なことで、頭が良ければ、他人と仲良くすることのメリット、コスパの高さは明確に理解出来るはずなのに、どうしても他人が嫌いなのである。

一方、学歴がなく、頭も良いとは言えないのに他人が嫌いとなると、目も当てられない。
コリン・ウィルソンが23歳の時に書いた世界的ベストセラー『アウトサイダー』に登場する(主に架空の人物なのだが)アウトサイダー達・・・社会の裏側に潜む、忌み嫌われる異常な人間達・・・見かけはそれほど違わなくても、普通の人間の仲間と言えない人達は、アウトサイダーの代表的な存在で、社会では日陰者である場合が多い。
今年(2019年)4月に31歳の若さで亡くなったミュージシャンのWOWAKAさんは、大学は東大だから学歴があって頭も少なくともそこそこは良いのだろうが、作る歌といい、雰囲気といい、まさにアウトサイダーだ。無論、優秀なアウトサイダーだって少なくはない。
まあ、彼は東大出身を売りものにしたことはなかったように思うし、そんなことを知らずにファンをやってた人も多いはずだ。
彼のほとんど最後のボカロ曲だったかもしれないが、初音ミクさんが歌う『アンノウン・マザーグース』の中の「ガラクタばかり投げつけられてきたその背中」という言葉は、アウトサイダーでなければ書けそうにない詩だと感じるのである。
私が好きな『アンノウン・マザーグース』の動画は以下のものだ。公式のものではないが、ミクさんが美しい。
【MMD】YYB式初音ミク//Unknown Mother-Goose/アンノウン・マザーグース -YouTube-

WOWAKAさんのように、才能があって優秀な人は、アウトサイダーとはいえ、本来は私の興味の対象外で、本当に能力もなければ、人間関係が悲惨なまでに苦手で、社会の底辺で苦しむ人達が逆転出来るという夢物語が私は好きである。
まあ、実際はほとんどないが、その可能性を感じさせる小説が、ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』(「少女」を女と訳した本もある)で、超底辺の歳も行ってしまった26人のどうしようもない男達が、ターニャという名の、可愛いが平凡な(性質はやや劣悪かもしれない)16歳の少女を崇めることで、なぜか人間性や能力を向上させる。
コリン・ウィルソンも、この作品を『至高体験』で取り上げ、何か解説していた(解説内容が難しくて解らなかったが)。
ウィルソンは、『至高体験』で同時に、ロオマン・ガリー(『至高体験』の訳書ではロマン・ゲイリ)の『天国の根っこ』(『自由の大地』のタイトルの方が有名と思う)で、堕落したフランス兵達が、空想の少女を想い描くことで、見る見る、騎士道精神とでも言えるものを取り戻す様子も引用していた。
ウィルソンも「崇める」ことの効果は認めていたようだ。
仏教の念仏や、ヒンズー教のジャパ(神の名を称名すること)は、神仏を真摯に崇めることであり、効果も非常に大きいと思える。
江戸末期から唱和初期にかけて、妙好人という念仏を唱えることで高度な人間性を示した人達は、自分が愚民であることを表明し、自分でも認識していたのだろうが、実際は能力的にも高く向上していたのだと思う。
今の人だって、念仏やジャパを素直に出来れば良いのだが、実際のところ、この超情報化時代に、それには難があると認めるしかない。
それなら、どう考えても実際は超優秀だったラマナ・マハルシが薦めたように「私」をマントラとして唱えたり、原子物理学の優秀な研究者であったベアード.T.スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』に書かれてあるように「神」という言葉をよく使うと良いと思われるところがあるのである。









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