『西遊記』の三蔵法師(さんぞうほうし)のモデルは、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)という、多くの有名な経典を漢訳した高名な僧侶だ。
『般若心経』の代表的な訳も三蔵のものだ。
実在の三蔵は、仏教経典を求めて中国からインドに行ったのである。山路でチベットを越えてインドに行くのは危険だと言われているが、本当に半端なく危険であるようだ。
それは専門の登山家でも困難で、三蔵のような登山の素人が無事たどり着くのは奇跡かもしれない。
私は、マード・マクドナルド・ベインの『解脱の真理』(霞ヶ関書房)を読み、もし、これに書かれていることが本当ならだが、これでチベットの山路の恐ろしさを感じたものだ。
一難去ってまた一難・・・いや、一難が終わらないうちに難が群をなして襲って来る感じだ。

ところで、伝説によれば、玄奘は、インドに向かおうとした時、インドから来た僧が病気で倒れているのに出会った。
先を急ぐ玄奘ではあったが、見捨ててはおけず、献身的に介護し、インドの僧は無事回復する。
すると、インドの僧は玄奘に般若心経の呪文を教え、この呪文を唱えれば難が去ると言う。
まあ、病気で寝込んでいた層が言っても説得力がないと取るか、玄奘のような慈悲深い人間に出会って介護してもらえたから本当だと取るかは自由だ。
玄奘は信じ、その呪文「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」を唱え、危険な山道、雪崩、野獣、盗賊などの難を次々切り抜け、無事にインドに到着する。
すると、そこに、あの病気だったインドの僧がいた。
驚く三蔵に、インドの僧は「私は、アヴァローキテーシュヴァラー(観自在菩薩:観世音菩薩)である」と言って消える。

般若心経の呪文そのものに力があるかどうかは私には解らないが、呪文を唱えることで、余計なことを考えないことだけでも偉大な効果があることは間違いない。
だから、お気に入りの呪文や念仏を持っているのは良いことで、最も効果的な唱え方を知っておくと、さらに良いだろう。
仏教では「幕妄想(まくもうそう)」、つまり「妄想をするな」と言い、妄想でしかないことを考えることは、不幸不運を呼ぶ愚かなことで、現代的に言っても、妄想は「コスパが悪い」ことは確実であると思う。つまり、どう考えても、否定的な妄想はするだけ損だ。
イエスも「汝、思い煩うことなかれ」と同様のことを言っていた。
ではそうすれば・・・と言えば、イスエの場合は「神を信用して安心しろ」と言ったのだと思うし、釈迦も、似たことを教えたかもしれない。
だが、伝統的に、仏教では、ヒンズー教の伝統を取り入れた部分もあるだろうが、神の名を唱えることが奨められ、仏教では念仏という形になっているのだと思う。

個人的には好きな人ではなかったが、船井幸雄氏が経営コンサルタントとして超一流であったことは間違いない。その彼が教えた経営のコツは一言で言えば「心配しない」ことなのだと思う。
イエスもきっと、良い経営コンサルタントになれたことだろう。
私も、経験上、心配をし過ぎた時には拙い結果になり、逆に、心配をやめてしまうと、それなりにうまくいくのだと解る。
あまりに極楽トンボなのはいけないが、そのさじ加減に関しては、スーフィーの格言、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
にうまく表現されている。
そして、神の名や念仏や、あるいは、肯定的な言葉を丁寧に唱えれば、そのような心構えにもなれるだろう。
念仏、呪文の効果を知らないために、多くの人が大変な苦労をしているし、失業して落胆したり、ニートは未来に絶望する。
アメリカの海軍特殊部隊ネイビー・シールズの世界一過酷な入隊テストに耐える若者達が、頭の中で肯定的な言葉を唱えているという研究報告もあるくらいだ。
ただ、例外もある。
一流の将棋棋士は対局中、頭の中に言葉がなく、特殊なイメージが自動的に流れるそうだ。
だが、念仏や呪文を長年続けると、ふとそのような状態になることがある。
いずれにしろ、余計なことを考えないことが大切であるようだ。









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