私は昔、TM(超越瞑想)という有名な瞑想法をやっていたことがある。
今でも、ハリウッドの超大物俳優や超大物監督、あるいは、人類の半分が知っているような超大物ミュージシャンらが、自分もやっていることを公表したり、推奨することもあるようだ。

TMには、何の意味もないが、抜群の効果を発揮することもある。
それは、こういうことだ。
「イワシの頭も信心から」には、心理学的な根拠があり、量子物理学や未発達の精神科学により、さらに根拠が与えられるかもしれない。
そうなれば、「イワシの頭も信心から」は原理になる。
そして、TMというのは、この「イワシの頭も信心から」という原理を高度に活用する、実に上手い方法なのだと思う。
その意味では、TMを考案したグル・デヴってインドの人は、とても賢い人かもしれない。

TMに何の意味もないことは、検索すれば解ると思う。
その情報が英語サイトにあっても、Google翻訳で十分と思う。
特に、私のように、TMをやったことがある人にとってはね。
ただ、昔とはいえ、TMをやる時、何かの契約書にサインさせられていて、その中に、そんなことを公表してはけないという項目があったかもしれないので、書かないでおく。
まあ、今では、私はTM主催団体の会員ではないのだから、契約は無効とは思うが。

私は、TMの効果をつくづく実感したことが一度ある。
それは、ある緊急事態が起こった時で、私は、当然、大変なパニックに陥るはずの状況だった。
だが、その時、こんな考えが浮かんだのだ。
「俺はTMをやっているから大丈夫だ」
すると、すっと心が落ち着いて、解決するはずのない問題があっけなく片付いた。
全く、イエスやラマナ・マハルシが言ったように、心配さえしなければ、この世に問題はない。
人間の敵は不安、あるいは、恐怖だけなのである。
単に、「大丈夫」という言葉を唱えても、もちろん有効だが、これほど魔法のように上手くいくことはないだろう。

「○○だから大丈夫」
人間は、この公式を確立すれば、魔法使い、仙人、超人になるのである。
TMは、この公式になり易いのだ。
だから、凄まじい効果を上げても、驚くことはない。
例えば、「あなたのお腹には大きな光がある。その光があるから大丈夫」と言われ、そう思えるなら、本当に大丈夫になる。

それなら、毎日、出来るだけ多く念仏を唱え、「私は念仏を唱えているから大丈夫」と思えば、確実に大丈夫なのである。
それだけで十分であるが、心の片隅に、こんな想いを持っておくと、更に有効かもしれない。
「南無阿弥陀仏」であれば、浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)、あるいは、龍樹の十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)にかけて。
「南無観世音菩薩」であれば、法華経の第25品『観音経』にかけて。
つまり、仏典の権威を借りるのである。
だから、別に、実際に読む必要は無い。
経典に書かれていることが良いのか悪いのかは解らないが、象徴的に書かれていることは確かで、その真意を読み取れる人は、今ではほぼいないと考えて良い。
解説書は沢山あるが、おそらく、どれもとんでもなく的外れだろう。
だが、その権威は、人類の集合無意識に肯定的に浸透したイメージから来るものであり、その威力は大したものである。
だから、毎日、念仏を唱えている限り、科学的に言っても、何の心配もいらないのである。









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