梶原一騎さんという、一世を風靡した漫画原作者は、おそらく、いろいろ問題の多かった人だったのだろうが、人気の高さが示す通り、面白いお話を作る作家で、天才と言って良いかもしれない。
その梶原さんの空手漫画だったと思うが、ちょっと忘れられない場面がある。
負傷したヤクザの親分が、広い庭に掘った大きな穴に汚物を入れさせ、その中に平然と飛び込む。
驚く主人公の空手家に対し、親分は、
「わしも理屈は解らんが、こうすると確実に早く治る」
と言い、
「先生(空手家のこと)も一緒にどうかね?」
と誘うが、空手家(彼も相当豪胆な男ではあるが)はたじろいで辞退する。
「梶原一騎、またデタラメを!」と思った読者も多かっただろうが、有名な気功や仙道の研究家である高藤聡一郎さんの本で、台湾だったか韓国だったか忘れたが、昔のアジアの国で、怪我をした部分に、汚物を貼り付ける習慣のある地方の人々のことが書かれていたのを覚えている。
本来で言えば、当然、そんなことをすれば、傷口からばい菌が入り、とんでもないことになりそうだが、そこでは、それで早く治ってしまうと信じられているのだった。

さすがに真似する気にはならないし、非科学的と非難されるかもしれないが、案外効果的なことが多いのではないかと思う。
傷から細菌が入ると、免疫作用が起こるが、大量の細菌を送り込むことで、強い免疫力を起こさせると共に、生体に「早く修復しないと大変だ」と思わせる効果でもあるのかなあとも思う。
これも、必ずしもお薦め出来ることではないだろうが、斉藤啓一さんの『ファウスト博士の超人覚醒法』という本で、虚弱でほとんど運動も出来ない少女に、厳しい労働をさせることで、少女の身体が回復したというのも、似た原理なのかもしれない。
精神的に落ち込んだ人に対し、優しく接するのではなく、敢えて厳しくしてやった方が回復が早いと言ったら、少しピンと来るかもしれない。

だから、身体も心も甘やかしちゃ駄目だ・・・ということを言いたいのではなかったが、まあ、そんなことも言えるだろう。
とはいえ、怪我をした身体を汚物の中に浸すというのは、さすがに身の毛もよだつが、あの漫画のヤクザの親分が言った「理屈は解らんが治りが早い」という言い分がやっぱり良い。
確かに良いことでも、理屈は解らない、あるいは、解り難いことは沢山ある。
念仏というのも、そんなところがある。
経典や、法然や親鸞の本を見ても、理屈では納得出来ないのだが、確かに不可思議な効果がある。
ポール・マッカートニの『レット・イット・ビー』で、「苦難に苦しんでいると、聖母マリアが現れて、貴い言葉をかけて下さった。『レット・イット・ビー(あるがままに』と」と歌われるが、その言葉に従うと、きっと問題は問題でなくなるのだろう。
そして、私の場合、困難を抱えていると、ひたすら念仏を唱えていると、おそらくいつも、問題は元々なかったかのように消えてしまう。
自己暗示みたいなものかもしれないが、自分であれこれつまらないことをして墓穴を掘るよりは間違いないように思う。
経典や、それに対する、法然、親鸞の解釈によれば、念仏を唱えれば、諸仏や、観音、勢至といった菩薩が真摯に手助けしてくれるというが、まあ、それは象徴的な意味だとしても、だいたい、そう考えて悪くはないだろう。

いずれにしても、少しもお利口なお話ではなかったが、お利口なことは大抵役立たずで、理屈抜きでやめておいた方が良いことばかりだ。
こちらは、「理屈は解らない」ではなく、「理屈はいらない」のである。
『愛のほほえみ』というイタリア映画で、オルガという名の可愛らしい10歳位の少女が、「私、やっちゃいけないって言われることは全部やりたいの」という「名セリフ」を言うのを覚えているが、彼女は生きている。
お利口さんになるのは、生きるのを止めることなのだろう。
理屈抜きで(直観)でね。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加