苦しい時の神頼みをする人は、今でも多いだろうか?
私は、それは決して悪いこととは思わない。
たとえ下心があろうと、自分より上位の存在を認め、謙虚になることは良いことだ。

スティーブ・ジョブズは若い頃、インドを放浪していた時、猛烈なスコールに襲われて恐怖を感じ、思わず神様に祈った。
「神様、助けてくれたら、いい人間になります」
まあ、神様だって、アテにはしなかっただろうが、ジョブズも少しはマシになったのではないだろうか?

私も、苦しい状況の時、自分のコントロールの範囲を超えるトラブルに見舞われた時には、やっぱり祈る。
「南無阿弥陀仏」
「南無観世音菩薩」
「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」
「オン、アロリキャ、ソワカ」
そして、今度こそ、思いやりある人間になろうと思うのだ。
思うだけだが・・・
だが、やっぱりいつも助けてもらえるのだ。
それも、見事なやり方でね。
さすが阿弥陀様、観音様だ。
アインシュタインは「神は老獪である。だが悪意はない」と言ったが、本当にそうだ。
いじめられてるんじゃないかと思うこともあるが、結局は、それでうまくいくのだ。

アメリカの公式モットーは「我々は神を信頼する」であるが、かつてのアメリカは、これを覚えていたから、他国を圧倒出来た。
だが、今のアメリカは、別のおかしなものを信頼するようになった。
フードスタンプ(食料品専用の金券)のような生活保護の信頼性は高い分、神様は忘れられている。
それで、貧困者も丸々太ってる。
アメリカもそうかもしれないが、日本人はスマートフォンを信頼している。
スマートフォンは幸運をもたらしてはくれない。

もちろん、阿弥陀様も観音様も、我々がイメージするような姿ではないが、イメージがなければ、信頼し難いし、祈り難い。
そして、そのイメージは大抵、的外れでもないのである。
宗教家の解説など聞かず、法華経の25章(25品)の『観音経』をよく読み、自分なりのストーリーを作ると良い。
すると、科学的、深層心理学的に考えても、観音様は確かに助けてくれるようである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ