人間は、自分を高く評価し、他人を低く評価する。
そう言われると、「確かにその通り」と思う。
だが、十代前半くらいまでは、「しかし、自分だけは別。自分だけは確かに特別」と思うことも多いものだ。
しかし、今は、いくつになっても、そう思い続ける者がひどく多いのだ。

「え?私は『世界に一つだけの花』じゃないの?」
って、それは・・・・・まあ、うまい商売って、そんなもんじゃないだろうか?
いや、確かに、他人と自分を比べても仕方がない。
それを、ドングリの背比べと言うのだから。

だが、ご安心を。
特別な存在になれる方法なら、あのソクラテスが明確に教えてくれている。
ソクラテスは言ったのだ。
「私は自分が特別だと解った。私だけが、自分は特別じゃないって知っているからだ」
なんと、中二病(自分を特別な存在と思うこと)ってのは、現代日本特有の病ではなく、ソクラテスの時代からそうだったのだ。
ただ、病状の重さは、やはり我々の方がずっと上だ(自慢にならないが)。
しかし、アンドリュー・カーネギーだったか誰だったか忘れたが、世界で特別視されている人物はこう言った。
「どう間違えても、私がソクラテスより偉いはずがないので、やっぱり私は大したことはないのだ」
自然な、まともな理解である。
ところが、この程度のことが解らない者が多いのだ。
まあ、そのことが解るから、彼も、普通の人よりは偉大だったのだ。

シーモア・パパートは、数学、コンピューター、教育、心理学の分野で、人類を前に進めたが、彼は、自分の能力は平均的だと言う。
ただ彼は、自分は幼い(3つか4つ)時、歯車に惚れ込み、ものごとを歯車で考えたから、うまくいった・・・つまり、「概念の力」を持っていたし、それを持てば、誰でも私程度のことは出来ると言った。
まあ、それがちょっと難しいらしく、パパートも、教育学者、あるいは、現場の教師として、子供達に、何らかの「歯車」を持たせようとしたが、あまり成功しなかったような気がする(少しはうまくいったこともあっただろうが)。
パパートは歯車を好きになったのだが、それは、自然にそうなったのであり、誰も、彼に、歯車を好きになるようそそのかした訳でも、まして、強要した訳でもない。
アインシュタインも、Google創業者のラリー・ペイジも、何かを好きになったのだし、我らが初音ミクさんのお父さん、クリプトン・フューチャー・メディア社長の伊藤博之さんは電子音楽を好きになったのだ。
まさに、セベ・バレストロスのお父さんの教えのように、「何でもいいから好きになれ」である。
それは歯車で十分なのだ。
武道家の堀部正史さんは「誰でも三度のメシより好きなものがある。私の場合はケンカだった」と言うが、彼のケンカ好きは半端でなかった。そして、本当のケンカ好きは弱い者いじめは決してしない。それは、極真空手の大山倍達さんも同じだった。









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