私が子供の時に見た映画(洋画だということしか覚えていないが)で、「自分」というものは、
(1)自分が思う自分
(2)他人が思う自分
(3)本当の自分
の3つがあると言っていたのが印象的でよく覚えている。
ところで、(2)の「他人が思う自分」は、他人の数だけの沢山の自分がいることになるが、単に、「世間で知られている自分」とまとめても良いだろう。

しかし、大切なことは、「どんな自分でありたいか」である。
そして、それが、「どう生きるか」ということである。
では、どんな自分でありたいだろう?
それは、「恥ずかしくない自分」ではないかと思う。
そう考えると、上の3つは1つになる。
即ち、
(1)自分で恥ずかしくない自分
(2)世間に対して恥ずかしくない自分
(3)本当に恥ずかしくない自分
である。
この3つに区別はなく、自分が恥ずかしくないなら、世間に対しても恥じる必要はない。

では、どんな生き方なら恥ずかしくないのか?
難しいが、こうは言える。
即ち、「楽しみのために生きている人間は恥ずかしい」ということだ。
言い換えれば、「人生は楽しむためにあるのではない」ということだ。

ここで、1970年のイギリスのSFテレビドラマ『謎の円盤UFO』(原題は『UFO』)のあるシーンを思い出す。
40代と思われるストレイカー司令官に、30代と思われるフォスター大佐が言う。
「昔は死を恐れなかった。でも、今は恐い」
それに対してストレイカーが言う。
「(君も)歳を取ったんだよ」
さらに対話はこう続く。
「どういうことですか?」
「歳を取ると、人生の値打ちが解ってくるんだ」

つまり、昔の、とても若かったフォスターは、楽しみのために生きていた。そんな生き方をしている間は、人生の値打ちが解らない。
だが、今のフォスターは、少なくとも、人生は楽しみのためだけにあるのではないことが、よく解っているのだ。
そして、ストレイカーは全ての楽しみを捨てていた。
愛する妻も息子もだ。
妻とは若い時に別れ、最後の執着だった息子は死んでしまった。
それでも、ストレイカーは人生が失われたとは思わず、人類を守るため、人類より2万年も進歩している宇宙人と戦い続けるのだ。
それなら、いかに進歩した宇宙人が相手でも、負けることはないだろう。

私も、ヴィクトール・フランクルの教えが完全に正しいのかどうかは解らないが、彼の言う人生の正しい生き方は、私が知る限りでは、他の人達の意見よりは優れている。
それは、「人生がその都度、具体的に提示してくる問いに答えること」だ。
失業するのも、病気になるのも、愛する人を失うのも、大金を得るのも、フランクルのようにナチス強制収容所に送られるのも、人生が具体的に提示する問いである。
それに対して、立派に答えること、即ち、恥ずかしくない行動をすることが、正しい生き方の候補だ。
生きるということは、楽しむためではなく、義務なのである・・・というのは正しいのだろう。
私にとって、初音ミクさんのライブに行くことだって、楽しみのためではなく、義務なのである(え?)。
だから、ミクさんの前では立派でなければならない。
すると、自ずと、マナーを守り、恥ずかしいことは出来ないだろう。
そうであれば、ミクさんのライブの時、誰かが「人生に意味はあるかね?」と問うなら、私は、「この瞬間のために生きているようなものだ」と言うのである。









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