映画や小説で、最強の敵に挑むスーパーヒーローが勝利した場合、視聴者や読者を納得させるのは、スーパーヒーローが凡人として戦った場合だけだ。
スーパーヒーローが、その超人の能力でラスボス(ラストボス。最後の最大の敵)を倒しても、嘘っぽいだけだ。
その典型が、SFテレビドラマの『スター・トレック(日本では、「宇宙大作戦」のタイトルで放送)』で、勝利するカーク船長は、いつも平凡なおじさんだった。

1960年代前半のSF漫画・アニメ『8(エイト)マン』の続編で、2000年代前半のSF漫画『8マン インフィニティ』で、8マン・ネオの最大の敵、8マン・シャドウが言う。
「戦いを決めるのは、速さでも火力でもない。意思の強さだ」
その通りだが、これでは解り難い。
なぜ解り難いのかというと、「強い意思」とは何かを、我々は知らないからだ。
強い意思とは、強い欲望、強い執着ではない。
強い意思とは、純粋な心だ。
普通の人間の心は、例えて言うなら、黒鉛(グラファイト)のようなもので、非常に脆い。しかし、黒鉛が脆いのは、不純物が混じっているからで、純粋な黒鉛は理論的にダイヤモンドより硬い。
忘我、没我になった人間が、火事場の馬鹿力を発揮するように、心が純粋になれば無敵である。

大勝負をする者に対し、「リラックスしろ」とアドバイスすることがよくある。
これは、「余計なことを考えるな」「なるべく欲望を捨てろ」ということである。
よって、欲望を持ったままではリラックス出来ないのである。

では、どうやれば、心を純化出来るのだろう。
真実を言えば、「愛を持てば」であるが、人間には愛は難しい。
そこで、「良心を持てば」、カーク船長くらいの活躍は出来るのである。
カーク船長を動かしているのは、単純に、良心なのだからだ。
それ以外にないことは、少し考えれば解ることだ。
良心というのは、称賛を求めて剣を振るうことではない。
英雄気取りで犠牲になることでもない。
真の勇気やヒロイズムには、欲望がない。

「良心だけでは駄目で、力や交渉能力も必要だ」と言われるかもしれない。
だが、時代劇小説『木枯し紋次郎』で、愚かな武士が、一人の町人に、不注意で身体か物をぶつけられたことに腹を立てて手討ちにしようとした時、その町人の主人である少女が、その武士の前に座り、「それで気が済むなら私を切って下さい」と言い、武士は「それなら」と刀を振り上げる。
だが、少女の静かな態度の前に、その武士は怖気づき逃げるように去る。
巨大な利害が絡む取り引きでは、多少の駆け引きも必要かもしれないが、大抵の争いは、意思の強さ、心の純粋さ、真の良心で決まる。
もし、限りなく心が純粋であれば、いかに大きな問題も問題でなくなる。
逆に言えば、どんなテクニックを持とうが、心が不純で意思が弱く、良心が無ければ弱いのである。
Googleの理念が「邪悪になるな」であるらしいが、なるほどと思う。
良心を磨けば強くなれる・・・愚か者が笑うこのことが真実である。









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