人間は、未来の希望がなければ、生きていけない。
平安時代から鎌倉時代、未来に何の希望もない人々の間で、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える浄土仏教や、江戸時代の過酷な状況にある農民の間にキリスト教が流行したのは、死後に、極楽浄土や天国に行けるという希望を与えたからだと言われる。
ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を見れば、ナチス収容所に送られたユダヤ人達は、未来の希望を自分で作ることが出来なかった者は、生命力を失い、心が死に、そして、すぐに実際に死んだ。すでに科学時代に生きていた彼らには、天国の夢は未来の希望にならなかったのかもしれない。
フランクル自身は、再び妻に会うこと、そして、この苦しい収容所生活での心の動きを、心理学者として発表するという希望を持つことで、生命力を保ったようだ。

若い時ほど希望を持ちやすく、歳を取れば希望が少なくなる。
とはいえ、若くても、希望を持てず、死んだ魚のような目をした者も多いだろう。
スティーブ・ジョブズは、里親が生涯かけて蓄えた資産が、自分の大学の学費に消えてしまうことに耐えられず、大学をやめた。
その後は、大学の寮の友達の部屋に転がり込み、ボランティアに食事を恵んでもらい、退学した大学のカリグラフィーの講義に出ていた。
ジョブズは後に、それ(カリグラフィーを学ぶこと)が何の役に立つかは全く分からなかったが、いつか何かにつながると信じるしかないのだと言った。
その通りだ。
どうつながるかは分からないが、未来の何かにつながると信じて、何かをするしかないのだ。
何をすれば良いか分からなくても、何でもいいから何かしないといけない。
その何でも良かったことが、未来につながることが多いのだからだ。
だが、長く続けるためには、出来るだけ好きなことが良いが、実際には、嫌いでなければ何でもいい。
ゲーテは、「最低のことでも、何もしないよりはマシ」と言っていたが、最低のことがきっかけで、少しはマシなことをやるようになり、それがさらに次のステップにつながるものだ。
だから、たとえ希望を持てなくても、未来の点につながると信じて、何かを続けるべきである。









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