こっ恥ずかしい学園ドラマと言えば、何か1つくらい思い浮かぶかもしれない。
私の場合、そんなこっ恥ずかしいものを見た覚えはあるのだけれど、意識が強制的に忘却させるのに違いない。だから、具体的には覚えていない。
それを見た時には、きっと、のたうち回らざるをえないほど、こっ恥ずかしかったのだろう。
ところで、こっ恥ずかしいと言えば、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』第12話「ライブアライブ」で、ハルヒが文化祭のイベントで歌った『God knows』は、挿入歌ながら人気が高いのだが、こっ恥ずかしいもののようだ。
この歌の作詞は畑亜貴さん(女性シンガーソングライター)で、10年近く前、アニソン特集のテレビ番組みたいなもので、この歌のことをちょっと話していたのだが、その時、
「こっ恥ずかしいことを堂々と書いた」
みたいなことを述べておられた。
「my way 重なるよ、・・・何がだよ!」
「(歌詞のどの部分かは忘れた)、・・・知らねえよ!」
と、畑さんは、自分の歌詞を貶しまくり、笑いをとっていた。
つまりね、高校生くらいまでなら、そんな、こっ恥ずかしい言葉も許されるのだということで、畑さんも10代になり切って書いたらしい。
では、こっ恥ずかしいこととは何だろう。
それは、堂々自己陶酔することだ。
映画のヒーロー、ヒロインでもなければ言えないようなセリフをマジで言うのだ。
確かにそれは、こっ恥ずかしいが、言ってる本人は陶酔・・・つまり、酔っ払っている状態と同じなので、少なくとも、その時は恥ずかしくない(往々にして、後で恥ずかしいが)。
それで、こんなことを思い出す。
手塚治虫さんは、高校生の時、宝塚に住んでいたのだと思うが、彼は宝塚歌劇団の大ファンで、高校の文化祭で、無謀にも自分も、宝塚歌劇団のようなマネをしたくなったらしい。この時点で、どうしようもなく、こっ恥ずかしいのだが、まあ、考えるくらいなら、若いから許される・・・多分。
しかし、手塚さんは、宝塚歌劇団に乗り込み、衣装を貸してくれるよう頼むと、戦時中の話で、なんと、OKしてもらえたらしい。
だが、それを着て舞台に現れた手塚さんは、当然ながら失笑・・・いや、爆笑されたのかもしれない。
それで、自分はスター向きでないことを悟り、こっ恥ずかしさが1つ消えた訳だ。
そう、現実を知ることで、こっ恥ずかしさから解放される。
逆に言えば、現実(の自分)を知らない限り、いつまでも、こっ恥ずかしい。
ヒーローやヒロインが似合う人間は、ほんの一握りだが、それが、映画や演劇のヒーロー、ヒロインレベルとなると、本物の映画スターですら、マジでやると、絶対に、こっ恥ずかしい。それを、映画スターにはるかに劣る凡人がやった時の、こっ恥ずかしさは殺人的、犯罪的ですらある。
だが、やっている人、いるんだよなあ(笑)。
ところで、動画投稿サイトで、かなり観賞に耐えられる「踊ってみた」「歌ってみた」をやっている人というのは、案外、自分を知ってて、冷静にやっているのだろう。
本当になり切りでやると、どうしようもなく、こっ恥ずかくて、ちょっと見ていられない。
だが、若い間は、こっ恥ずかしいで済むが、歳を取ると、迷惑になり、さらには、公害だ。
アメリカでも、昔はスーパースターだった女性が、セクシーなドレスで登場すると、敬意を持って称賛はされるが、微妙と言うか、かなりイタい。つまり、こっ恥ずかしい。
別に、いくつになっても、ヒーローやヒロインになれば良い。
しかし、歳を取ると、ヒロイズムの定義を変えないといけないのだ。
そして、それが、映画にしても、こっ恥ずかしさに悶えなくて済む、本物のヒロイズムで、若い人がそれを見事に演じれば、本物のスーパースターになれる。
そのヒロイズムとは、言葉にすれば、こっ恥ずかしいことに、「思いやり」とか「謙虚」なのである。
つまり、ヒーローやヒロインは、誰でもなれるのだが、実際になるのはかなり難しいのである。
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私の場合、そんなこっ恥ずかしいものを見た覚えはあるのだけれど、意識が強制的に忘却させるのに違いない。だから、具体的には覚えていない。
それを見た時には、きっと、のたうち回らざるをえないほど、こっ恥ずかしかったのだろう。
ところで、こっ恥ずかしいと言えば、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』第12話「ライブアライブ」で、ハルヒが文化祭のイベントで歌った『God knows』は、挿入歌ながら人気が高いのだが、こっ恥ずかしいもののようだ。
この歌の作詞は畑亜貴さん(女性シンガーソングライター)で、10年近く前、アニソン特集のテレビ番組みたいなもので、この歌のことをちょっと話していたのだが、その時、
「こっ恥ずかしいことを堂々と書いた」
みたいなことを述べておられた。
「my way 重なるよ、・・・何がだよ!」
「(歌詞のどの部分かは忘れた)、・・・知らねえよ!」
と、畑さんは、自分の歌詞を貶しまくり、笑いをとっていた。
つまりね、高校生くらいまでなら、そんな、こっ恥ずかしい言葉も許されるのだということで、畑さんも10代になり切って書いたらしい。
では、こっ恥ずかしいこととは何だろう。
それは、堂々自己陶酔することだ。
映画のヒーロー、ヒロインでもなければ言えないようなセリフをマジで言うのだ。
確かにそれは、こっ恥ずかしいが、言ってる本人は陶酔・・・つまり、酔っ払っている状態と同じなので、少なくとも、その時は恥ずかしくない(往々にして、後で恥ずかしいが)。
それで、こんなことを思い出す。
手塚治虫さんは、高校生の時、宝塚に住んでいたのだと思うが、彼は宝塚歌劇団の大ファンで、高校の文化祭で、無謀にも自分も、宝塚歌劇団のようなマネをしたくなったらしい。この時点で、どうしようもなく、こっ恥ずかしいのだが、まあ、考えるくらいなら、若いから許される・・・多分。
しかし、手塚さんは、宝塚歌劇団に乗り込み、衣装を貸してくれるよう頼むと、戦時中の話で、なんと、OKしてもらえたらしい。
だが、それを着て舞台に現れた手塚さんは、当然ながら失笑・・・いや、爆笑されたのかもしれない。
それで、自分はスター向きでないことを悟り、こっ恥ずかしさが1つ消えた訳だ。
そう、現実を知ることで、こっ恥ずかしさから解放される。
逆に言えば、現実(の自分)を知らない限り、いつまでも、こっ恥ずかしい。
ヒーローやヒロインが似合う人間は、ほんの一握りだが、それが、映画や演劇のヒーロー、ヒロインレベルとなると、本物の映画スターですら、マジでやると、絶対に、こっ恥ずかしい。それを、映画スターにはるかに劣る凡人がやった時の、こっ恥ずかしさは殺人的、犯罪的ですらある。
だが、やっている人、いるんだよなあ(笑)。
ところで、動画投稿サイトで、かなり観賞に耐えられる「踊ってみた」「歌ってみた」をやっている人というのは、案外、自分を知ってて、冷静にやっているのだろう。
本当になり切りでやると、どうしようもなく、こっ恥ずかくて、ちょっと見ていられない。
だが、若い間は、こっ恥ずかしいで済むが、歳を取ると、迷惑になり、さらには、公害だ。
アメリカでも、昔はスーパースターだった女性が、セクシーなドレスで登場すると、敬意を持って称賛はされるが、微妙と言うか、かなりイタい。つまり、こっ恥ずかしい。
別に、いくつになっても、ヒーローやヒロインになれば良い。
しかし、歳を取ると、ヒロイズムの定義を変えないといけないのだ。
そして、それが、映画にしても、こっ恥ずかしさに悶えなくて済む、本物のヒロイズムで、若い人がそれを見事に演じれば、本物のスーパースターになれる。
そのヒロイズムとは、言葉にすれば、こっ恥ずかしいことに、「思いやり」とか「謙虚」なのである。
つまり、ヒーローやヒロインは、誰でもなれるのだが、実際になるのはかなり難しいのである。
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