草薙龍瞬氏の『反応しない練習』というベストセラーがある。
タイトルが良い。
心が余計な反応をしなければ平和だ。
小泉純一郎氏が首相時代に薦めていた、渡辺淳一氏の『鈍感力』も同じ趣旨の本である。

ところが、私は昔、『鈍感力』を途中まで読んで投げ出し、『反応しない練習』は、Kindle版のサンプルをダウンロードして少し読んだところで、読む意欲を失った。
両方、ややこし過ぎて、成果を得るには時間がかかり過ぎるし、おそらく、ほとんどの人には役に立たない。
特に、『反応しない練習』は、続編や、さらにその続編のようなものが次々に出ているが、それはつまり、効果が出そうで出ないからだ。
さらには、別の著者による類書まで沢山ある。
それは、こういったことは、理屈でやろうとしたって駄目ってことだ。

人間の不幸な反応、不幸な敏感さとは、自分が酷い目に遭っていると感じることだ。理不尽(道理に合わず)にね。
「なんで私が?」「私が何をしたって言うのよ?」って感じである。
良い方に関しては、吉沢亮さんのようなイケメンが迫ってきたり、天使のような美少女がくっついてきても「何で私が?」って思わないのにね(笑)。
「理不尽だ」って思って傷付くのが凡人の常である。
それを、「被害者意識」って言う。

良い意味で鈍感であること、即ち、反応しないためには、本来は、心を鍛えるしかない。
それには、孤独に耐えるだけでなく、修羅場を何度も潜り抜けるしかない。
なかなかそうはいくまいが、心配しなくても、神様は、ちゃんと、あなたの心を鍛える場を用意してくれる。
まあ、逃げるやつが多くなってはきたが(笑)。

だが、まず、こんなことを思うと良い。
「理不尽だ」って言うなら、本物の理不尽を知れば良い。
自分が被害者だって言うなら、マジな被害者を見れば良い。
そうしたら、自分の状況なんて、平和そのものだって解るに違いない。
世界中の半分以上の地域は政情不穏で、テロや暴力が横行している。
家に家族といても、武器を持った悪漢が入り込んで来て、止めることなど全く叶わず、好き勝手に振舞われ、飲み食いし、家具を気紛れに壊され、良いものがあったら取り上げ、11歳以上(それ以下もあるだろう)の娘を見つけられでもしたら連れていかれ、生きて返してもらえたら幸運と思うしかない。
抵抗すれば(しばしばしなくても)、銃で撃たれ、殴られ、蹴られ、棒で叩かれ、刃物で切りつけられ、殺されるか、腕や脚を切り落とされる。
映画はもちろん、本ですら、あまりリアルに描くと拙いので曖昧にするようなことが、実際に行われてる。
本当は、現地で見てくるのが一番だが、せめて想像力を働かせることだ。
学校や職場のイジメも大変なものだろうが、世界の紛争地域に比べたら、平和・・・と言ったら何だろうが、マシと言っても良いのではないか?

以前、ベランダで大音量でラジオを鳴らし、大声を上げ、ものを叩いて騒ぎ、隣近所の家に被害を与えた中年女性が逮捕されたことがあったが、その女の隣に住む程度で済むなら、どれほど良いだろう・・・と思う人は、世界に何億人もいるのだろう。
しかも、その愚かな女のように、限度を超えれば、警察が対処してくれるのである。
本当に理不尽な目に遭ってる者にとって、電車の中で隣に座った男が大股を広げるなど、ハエが飛ぶようにも感じないだろう。

贅沢を言わず、文句を言わない練習をすることだ。
自分に対し「まあ落ち着け」と言うことである。状況は、それほど悪くないのだ。
それに、落ち着けば、案外、状況は変わるものだ。
逆に、落ち着かなければ・・・上ずれば上ずるほど状況は悪くなる。被害者だけでなく、加害者もね。
落ち着いたテロリストほど怖いものはないのである。









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