私はずっと、歩きタバコをする者達に対し、憤っていた。
まあ、私と同じように感じる人は少なくないと思うが、怒るだけ無駄である。
小学生の通学路で通学時間に歩きタバコをしている人には、さすがに注意しようと思ったことはあるが、やめておいた方が良い。
なぜなら、歩きタバコをしているという事実が、その者に常識がなく、まともな話が全く通用しない相手であることがはっきりしているからだ。
ならば、注意したところで、相手が非を認めるはずがなく、あなたは恨まれるだけである。
下手したら、何らかの攻撃を受けないとも限らない。
これは、歩きタバコに限らない。
以前、ロシアで、1人の女子大生が、地下鉄の中で股を広げて座っている男性達のその股間に液体漂白剤をかけて回っているというニュースを見たが、その女子大生は、座席の広い場所を占領する男達に憤っていたのだろう。
しかし、漂白剤をかけられた男達は、百人中百人が、その女子大生のことを、単に、キチガイとか異常者としか思わないのであり、「俺も悪かった」などと僅かでも思う者はいない。
そして、実際、「俺がされたら殴ってやる」と言っていた男もおり、拙いことにならないうちに、彼女がやめてくれることを願っている。

そして、これは不思議に思えるかもしれないが、相手に対し憤ると、相手にエネルギーを与えてしまい、自分はエネルギーを失うのである。
だから、歩きタバコをする者や、電車で大股を広げて座る者は、怒りを買えば買うほど元気いっぱいになるのである。
非難されるべき行為をした人間に対し、「怒りしかありませんね」などと声を荒げて言う者がいるが、そんな者は、その責めている相手にエネルギーを与え、自分はエネルギーを失って、何をやってもうまくいかないのだ。
意識のエネルギーは小さくはないが、怒りはエネルギーに転化して自分から離れ、意識を集中した相手・・・即ち、恨みの相手に飛んでいくのである。
それなら、旧約聖書に書かれてる通り、「復讐は神にまかせ」れば良い。
別に、「神様、あいつを罰して下さい」と願うのではない。それだと、相手に対する怒りが起こり、やはり、相手を利してしまうのである。
一方、誰かに対し、本気で、「うまくいきますように」と祈ると、放ったエネルギーは相手のところに実際に行くと共に、増幅して自分に帰って来る。
こういったことは、やがて科学的(量子科学的)に解明されるだろうし、既に解っている科学者もいると思う。
そして、これが事実であることは、自分でも実験、観測が可能と思う。

だから、嫌な人間を見た時、出来るだけ怒りを起こさず、自分に対し「落ち着け」と言わなければならない。
「落ち着け」と言うのは、自分であると共に高位の自分であり、その時、自分は神のような存在と一体になっているのである。
しかも、エネルギーを失うことも、悪いやつに与えることもなく、相手は、放っておいても自滅する。
小悪人は別だが、大悪人はわざと大衆の怒りを買おうとするものである。
それが自分の活力になることを知っているからだ。
大衆が大悪人を冷静に眺めた時、大悪人は自分が起こした邪悪な想念に飲み込まれて自滅する。
「落ち着け」こそが万能の言葉である。









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