座右の銘とは人生の指針であるが、出来れば子供の時・・・それが無理でも、出来るだけ若い時に、それを決めることが出来た者は幸せだ。
ただし、それは、決して他者から与えられたものではなく、自分で決めることが大切だ。
私の座右の銘は「節制」だが、残念ながら、それを明確にしたのは最近だ。
だが、子供の時から、天使はそうささやき続けてくれていたのだ。
それを聞き逃していた。
あなたは、そんな愚かな間違いをしてはならない。
だが、聞き逃していたとはいえ、確かに影響はあった。

節制とは、言い換えれば、「ほどほどに」「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」である。
私は、小学4年生の時だろうか、正月に凧(たこ)揚げをしていて、凧に紙の脚を付けるとよく上がることに気付き、長めの脚を付けたら思った通り、よく上がったので、もっと長い脚を沢山付けたら、重くて飛ばなくなった。
その時に、「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」と実感した。
そして、その時、私はこれを座右の銘にしようと思ったのだが、そうしなかった。

最近、「節制」を座右の銘にしようと思った、あるきっかけがある。
『1976年のアントニオ猪木』は、プロレスラー、アントニオ猪木の伝記で、これには、猪木さんの悪い部分も沢山書かれている・・・いや、印象では、悪いところ9割といった感じで、圧倒的に、猪木さんの欠点が書かれている。
しかし、これが良いのである。
私は、それまで、あまり好きでなかった猪木さんが大好きになった。
そして、猪木さんに一環して感じられるのが「節制」なのだ。
猪木さんは、まず、プロレスラーとして、美しい身体を維持することに余念がなかった。
パキスタンで、地元の英雄アクラム・ペールワンに勝った時、報道だったか何だったか忘れたが、「アクラムは、日本の美しいペールワン(レスラーのこと)に何も出来なかった」と言われたらしいが、これこそ、猪木さんに相応しい賛辞と思う。
アクラムは、猪木さんを初めて見た時、猪木さんの身体を「シェイプされている」と感じ、アクラムの弟のゴガは、猪木さんの身体が、節制され訓練を怠っていない身体と見抜き、47歳の兄アクラムが勝てるはずがないと思って、39歳の自分が代わりに戦おうとしたという。

大我ドラマ最高視聴率の『独眼竜政宗』で、秀吉の要請に対し、かなり遅れて小田原に参陣した伊達政宗に未来はなかったが、徳川家康は息子を政宗のところにやり、さりげなく「ほどほどに」と伝言したとされていた。
家康の座右の銘がまさに、「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」「ものごとはほどほどに」であり、それが政宗を救った。
・・・というのは、おそらく、私の湾曲された記憶であるが、私は、そのように考えるのが正しいと思っている。

節制には、基本的なものとして、食の節制、睡眠の節制、性の節制がある。
ただし、私は、あまりに厳しい規制は、節制ではなく、恐怖から来るこだわりか、権威による強制と思う。
『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナ神は、アルジュナにこう教える。
「食べ過ぎてはいけない。だが、少食過ぎてもいけない。惰眠を貪ってはならない。だが、眠りが少な過ぎるのも良くない」
私は、これが正しいと思う。
エマニュエル・スウェーデンボルグは、食について、天使に警告を受けた。その言葉は訳者によって異なるが、次の2つがある。
「汝、食を過ぎるなかれ」
「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」
これに全く同意である。
食の節制は、そのようにすれば良い。
ある、超少食を説く医師がいて、私も一時はそれに傾倒したが、その医師の教えを実践していたミュージシャンは、明らかにパワーがなくなって肉体は老化した。
そして、その医師自身、亡くなったのが82歳くらいだったから、短命とは言わないが、本当に超少食が良いなら、もっと長生きすべきだったと思う。

「節制」を座右の銘にした時から、不安は一切消え、明るい未来しか見えない。
もちろん、これは私の座右の銘であるが、人類全てに「節制」が極めて有益であることは間違いない。
もし気に入るなら、「節制」を座右の銘にするなら、無敵への道が開けたと言って間違いないだろう。
「日本節制党」を作ろうと思う(冗談だ)。









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