Amazonプライムビデオで『イエスマン』というアメリカのコメディ映画を、最初の20分程度見たことがある。
その映画の中の、ある宗教的セミナーで、カリスマ性のある教祖的講師が、こう教えていた。
いかなる場合でも「イエス」と言い、「ノー」を絶対言わないことで幸福になれる。
「お金貸して?」と頼まれたら、もちろん「イエス」で貸し、「彼女、譲ってくれよ」と言われたら、もちろん、笑って「イエス」だ。
その教えに、私も、おかしい、馬鹿げていると思いながらも、「どこかに真理があるな」と思ってしまう。
というのは、変な教えとはいえ、明確な反論が出来ないのである。
しかし、反論ではないが、私ならこう信じる。
それは、ご利益を期待して「イエス」と言うのはいやらしいということだ。

「ご利益を求めて神仏を拝む」
「見返り期待し、いつも親切」
こんな考え方は、反吐が出るほど汚らわしいが、多くの人がやっている。
学校や会社で、グループの人達にだけは、親切で愛想が良いのも、自分の承認欲求を簡単に満たしたいからだ。そんな連中は、グループ外の人の悪口ばかり言っている。
熱心な宗教の信者の全てがそうではないだろうが、やはり、自分や家族にだけご利益があれば良いと思っていて、他人はどうなってもいいと思っている者が多いはずだ。まして、他宗教の者は不幸になれと思っている場合が多いだろう。

「私は掟を固く守っている」と、いかにも高貴な顔で言ったところで、それもやはり見返りや利得を期待する卑しさは隠せないものだ。
「正しいだけでは生きられない」と言い、穢れない心の持ち主を「世間知らず」「ガキ」と馬鹿にする。
ところが、どう考えても、運が良かった時というのは、世間の人にガキと言われるような時だけなのである。
それは、誰からも愛されるアニメのヒロインのように考え、行動している時である。
もちろん、言わなくていいことを言わない賢さ、騙されない賢さが必要なのは当たり前で、いちいち言う必要はないだろう。
アニメのヒロインは、心の平安、魂の喜び以外に何も求めない。
何と、それで良いのである。
それには、嘘をつかないこと。
結局は、これが無敵なのである。









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