大成功した事業家の斎藤一人さんが昔の著書で、「私が成功したのは、頭が良いからでも頑張ったからでもなく、ツイてたからで、なぜツイてたかというと、ツイてると言葉で言ったからだ」といったことを書いていたと思うが、これだけ見ると、受け入れない人も多いと思う。
だが、こんな話がある。
著名な心理学者のアブラハム・マズローは、「優れた人間と平凡な人間の違いは、至高体験があるかないかだけ」と言っているらしい。
至高体験とは英語のpeak experienceの訳で、ある人は「絶頂体験」と訳す方が良いと言っているが、表現し難い体験である。
万物と一体となった没我の体験と言う人もいるが、このようなものは、エクスタシーと言った方が良いかもしれない。しかし、エクスタシーと至高体験は別のものではない。
「20世紀最大の詩人」とも言われるアイルランドのW.B.イェイツは、「芸術の目的はエクスタシーである」と言った。
また、夏目漱石は、おそらく、同じことを「天賓」と呼んだし、およそ文豪で、この体験を知らない者はなく、ロマン・ロランは、至高体験と同じことを太洋感情と言っていた。

至高体験の最も直接的なビジュアルは、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの彫刻「聖テレジアの法悦」であろう。
「聖テレジアの法悦」は、英語でEcstasy of St Theresaで、まさに、「聖テレジアのエクスタシー」で、原語とも言えるイタリア語のEstasi di santa Teresa d'Avilaも全く同じである。
聖テレジアの法悦
この彫刻(特にテレジアの様子)を「エロい」と言っても、決して不謹慎ではあるまい。ベルニーニも、そんな意図で作らなかったとは思えない。
私なら、閻魔あいと 御景ゆずきの姿にしたいが・・・と思うのであるから、やはりそうである(笑)。

マズローは、至高体験は特別なもので、これが得られるかどうかは幸運に頼るしかないと言うが、マズローと親交のあったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、「至高体験とは、単に自分を幸運と思うこと。誰にでもある、ありふれた体験」と言った。
この中卒のヒッピー作家は、超エリートのマズローを超えていた。
そして、マズローが、大学の教室で学生達に、「自分が幸運だと思う体験」を発表させたら、皆が至高体験に達した。
斎藤一人さん風に言うなら「ツイてる体験」であろう。
不幸な人生を送っているあなただって、ツイてた経験、幸運だった経験の1つや2つあるはずだ。
何かの人気小説のように、中学生の少女が不意に胸を見せてくれた・・・なんて特例はなかなかないだろうが(私はもっと凄いのがあるが内緒だw)、幸運の1つもない人間はいないし、思い起こせば奇跡的な幸運だってあるに違いないのだ。
いや、実際は人生は奇跡だらけだ。
それが解れば・・・そうでなくても、きっと「ツイてる」と言えば、奇跡も起こるし、過去の奇跡も思い出すだろう。そうすれば、さらに奇跡は起こる。

成功を約束する短い話が出来てしまった。百円頂戴と言いたいところである(笑)。









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