新渡戸稲造の『武士道』は「濃過ぎて」なかなか読み通せない。
だが、誰かの個人的解釈だったかもしれないが、武士道とはそもそも、こんなものではなかったか?
「特権階級である武士は労働をしなくても良い生活が出来る。しかし、昔は、戦が起これば、領民を守って戦うという大義名分があった。しかし、徳川の時代には天下は太平で戦はなくなった。それでも、いいご身分は以前のままで後ろめたい。それなら、せめて立派な人間でいよう」
私は、以前は、この考え方に非常に反発を感じた。
これは、税金を食い物にしている連中・・・働きもせずに高額な報酬を受け受け取っている公益団体のお偉いさん、天下り役人、あるいは、世間がどんなに不況でも高給を取り、しかも、常に昇給する教師等の公務員と同じではないかと感じたのである。
私は、ひきこもりニート明けから、社会の底辺でもがいていたのだから、30歳そこそこで年収700万円を軽く超える教師に、妬みから来る反感があったのだろう。

しかし、最近は、「自分は恵まれているのだから、せめて立派な人間でいよう」と思うなら、それは見上げたこと・・・いや、それ以上だと思うようになった。
武士だって、農民の苦しい生活を知っている者も多く、安穏としている自分を後ろめたいと思っていたのだ。それなら、大したものではないか?
つまり、潔く自分の身分を投げ出して苦難の道を行くことは出来ないが、それを恥じる気持ちがあるのである。
今の平均的日本人の豊かさは、世界的に見れば羨望の的だ。世界では、毎日、数多くの子供達が餓死し、少なくとも半分以上の地域が戦争状態で、貧困、恐怖、不安、苦境の中で過ごしている大変な数の人々がいる中で、我々は、冷暖房のある快適な家に住み、自動車を所有し、毎日美味しいものを食べている。
たとえ世界にまで目を向けなくても、日本にだって、寒い冬に家のないホームレスも多く、ワーキングプアなど貧困層も少なくは無い。
そんな人々のことを、自分は余っているのに、何もせず放っているのも、考えてみれば後ろめたくはないだろうか?
それなら、せめて立派な人間でいようと思わないだろうか?
自分が恵まれているのは、天の采配かもしれない。それなら、尚のことである。

世の中、悪いことをすれば悪いことが返ってくるし、人を呪わば穴二つである。
『地獄少女』で教わったというより、確認したのである。
それなら、やはり、せめて立派な人間でいようではないか。
閻魔あいちゃん、ありがとう!今度、家においで・・・って、その前に部屋を片付けておかないと・・・

ほとんどの日本人が、武士や、見方によっては昔の王侯貴族より良い生活をしているという見解もある。
それは実感出来ないが、身に余る恩恵を受けている者は多いはずである。
今はそうは思えなくても、Excel VBAをマスターすればそう思うほどになれる(笑)。いや、マジで。
日本に生まれただけでラッキーだし、その上、Excel VBAをがんばって習得するだけで武士をはるかに超えるのである。
そして、立派な人間でいれば、天はさらに報いてくれるように思える。
逆に、恩を忘れて傲慢になれば、「いっぺん死んでみる?」と地獄少女に言われるほどでなくても、哀れで惨めになるに違いない。
「悪いことをすれば自分に返って来る」
「人を呪わば穴二つ」
「せめて立派な人間でいよう」
これらが私の人生訓になったようだ。

それでも挫けそうな時は・・・
お釈迦様は、従弟のアーナンダに美しい天女を見せ、
「アーナンダよ、修行すればこの天女はお前のものである」
と「方便」でやる気を出させた。
私も、「修行すれば、閻魔あいちゃんとデート出来る」を励みに・・・暗~いデートになりそうだが、それが良いに違いない。









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