ギリシャのデルフォイにあるアポロン神殿の入り口に、「汝自身を知れ」という、神の言葉が書かれているという。
「汝自身を知れ」の解釈はいろいろ言われるが、素直に「身の程を知れ」で良いと思う。
アポロン神殿のことなど全く知らないはずの徳川家康も、「身の程を知れ」を天下取りの秘訣とするほど重要視していたという話がある。

「身の程を知れ」は、謙虚な良い言葉だと思う一方、人間の可能性を狭める良くない言葉だと考えられることもある。
例えば、「高卒のくせに」とか、「お前ごとき(ブサイクとか貧乏等)がマドンナ(学校や会社で一番の美人)に憧れるとは」といったように、本質的な欠点とは言えないことで人を貶めることを連想させるからだ。

だが、例えば「高卒のくせに」と言われるのは、一般的には不当と思えても、ある時点では、高卒が大卒に劣る場合も確かにある。
小さな会社が、大企業に対して卑屈になる必要がないのは確かであっても、やはり、大企業に敵わないところは多い。
これを、松下幸之助は、ある著書で見事に解決していた。
即ち、「今の身の程を知れ」である。
高卒で、経験や知識が乏しければ、大卒に負ける。そんな、今の時点での身の程は知らなくてはいけない。あくまで、知識をつけ、経験を積んでこそ「学歴など関係ない」と言えるのである。
松下幸之助は、今の自分の身の程を知らなかった例に、太平洋戦争時の日本を挙げたが、なるほど、今の自分をちゃんと見ることが出来れば、日本はあんな無謀な戦争はしなかったはずである。日本が、今の自分の力を判断する冷静さがあれば、もっと賢い道を行けたはずなのだ。
そして、松下幸之助は、特に企業について書いていたが、自分を正しく見ることが出来るなら、絶対大丈夫だと言う。

「絶対大丈夫」という万能呪文(『カードキャプターさくら』の桜の最強の呪文)も、身の程を知らない者には効果はない。
実力もないのに、「サッカー選手になる」だの「女優になる」と思っている者が、いくら「絶対、大丈夫」と唱えても駄目なことは解るだろう。

自分を客観視する能力は、とても大切で、ひょっとしたら、あらゆる学問は、そのためにするのかもしれないと思うほどだ。
ところが、学問かぶれや、試験勉強のための勉強は、自分を過大視させる傾向があるのだから、学問の意味がないのである。

世の中、単純であり、「善いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことがある」である。
ジャームズ・アレンが『原因と結果の法則』で書いたのは、つまるところ、それだけである。
だが、身の程を知らない者は、自分では善いことをしているつもりでも、それは、実に馬鹿げた悪いことである場合がよくある。
優れた人に「君は素晴らしい」と言われたら嬉しいが、「お前に誉められたって嬉かねえよ」と言われても仕方がない者もいるが、そんな者に限って、尊大に人を誉めて悦に入っているという滑稽な場面を、あなたも一度は見たことがあるかもしれない。私はある時期、勤務先の会社で毎日見ていた。

「悪いことをしない」「人を呪わば穴二つ」「身の程を知れ」
実は、幸福になる秘訣や成功法則は、この程度のことなのだと思う。
まあ、身の程を知ることは難しい面もあるが、子供でも出来ないことはなく、それが出来れば絶対に大丈夫なのである。









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