人生の最大の目標は「安らぎ」であるという話がある。
そうかもしれない。
しかし、それなら出来るだけ何もせず、ひそやかに、ただひたすら素朴に生活していれば安らかになれるかというと、そういうことはないと思う。
冒険の末、あるいは、苦難と絶望の果てに安らぎに至ったという人も多い。
ラマナ・マハルシは、「人々は暑い日差しの中を歩き回って苦難を味わい、つかの間、木陰で休むようなことをしているが、賢い人はずっと日陰にいる」と言ったが、これは、真我という、真の自分であり続ければ安らかであるという意味である。
しかし、暑い中に出て行ってこそ、涼しい日陰の良さが解るのであると思う。

カンフー俳優のブルース・リーは、何かの成功哲学か新興宗教でもやっていたのではないかと思うが、ある時、「2千万ドルを得て、武道家として安らかに過ごす」ことを生涯の目標としたと聞く。
おそらく、彼が安らぐことは最後までなかったことだろう。
ただ安らかな武道家を目指せば叶えられたかもしれないが、2千万ドルなど余計なものを目指したからだ。
とはいえ、彼は亡くなった時でさえ32歳の若さだったので、そんな世間の教義を打ち破るのは難しかったのだろう。
安らぎには金が必要というのが現代の世間の教義だ。
金はある程度はあった方が良いかもしれないが、過度には必要ないだろう。
それに、必要な金なら入ってくるものだ。

江戸末期の神道家、黒住宗忠は、安らぎが得られず、病で寝込み、32歳くらいで、いよいよ死を予感したので、入浴させてもらい、天照大神の象徴である太陽を拝んでいたら、天照大神の生命が自分の中に入ってきて元気になり、その後はむしろ超人的な活動を続けた。
彼の教えは、現代的な言い方をすれば、「全て神様にまかせれば安らかである」だと思う。
それは、昨日、このブログで書いた、斎藤一人さんが言う「困ったことなんか起こるはずがない」ということで、バカボンのパパの「これでいいのだ」と同じと思う。
つまり、普通の人は、神様に全てまかせても、悪いことになるかもしれないと不安になるのだと思う。
しかし、斎藤さんは、「神様は我々が可愛いのだから、悪いようにするはずがない」と書いていたと思う。
しかし、凡人は、「事業で成功出来るだろうか?」「恥ずかしくない地位に就けるだろうか?」「あの子と付き合えるだろうか?」と、外的なことにこだわるからややこしいのだ。
事業をやる運命であれば事業をやり、武道家になる運命であれば武道家をやれば良い。
ラマナ・マハルシによれば、ニートになる運命というのもあるらしい。
一方、ラメッシ・バルセカールも、そのようなこと(ニートも運命)を言いつつ、「何かした方が良い」、つまり、何か仕事をした方が良いと言う。
まあ、「私は絶対働けない」とか「俺は絶対働きたくない」といった妙な思い込みを持たない限り、ちゃんとやっていけるものである。
だが、その思い込みを捨てることが最大の難問であるらしい。
思い込みを持っている人は、ストレス、心のわだかまり、トラウマ、胸の痛み・・・それらは実は同じものだが、そんなものを強く抱えている。
それを取り去れば、柔軟に、変幻自在に、FREELYに生きられる。
そのためには、以前書いたように、胸に手を重ねて置き、ゆっくり十数秒右に回し、次に、左に回しを数分繰り返すと良い。
胸に溜まったものが徐々に氷解し、楽になるだろう。
フロイトは、そんなことを、患者の額に自分の手でやったらしいが、もちろん、自分の手で額にやれば効果がある。
詳しいやり方は、アレクサンダー・ロイド博士(心理学)の『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』に書いてあるが、別に見るまでもないと思うのだが。
私は、初音ミクさんが『えれくとりっくえんじぇう』を歌うのを見て解ったのだから。
初音ミク】えれくとりっく・えんじぇぅ【ドリーミーシアター】 -YouTube-
「なんとかなるぜ、世の中は」(『気楽に行こうよ』より)である。いや、マジで。









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