「損得で動かない」人を「高貴な魂の持ち主」のように言うことがあるが、私は信じない。
本当に高貴かどうかは分からないが、そんな人間は「本当の損得で動いている」のである。
そんな人間は頭が良いのである。
偉い人にはゴマをするが、力のない人はぞんざいに扱う者は多い。
そんな人間は、人間性が低いのではなく、単に頭が悪いのである。
だって、そんなやり方が、すごく損だという簡単なことすら理解出来ないのだからだ。

素晴らしい美少女がいて、一瞬は見惚れても「こいつは駄目だ」と思う子がいる。
実際、そんな子が、人を簡単に見下し、無礼な態度をするのを何度か見た。
そして、そんな子は、外見は優れているが、やはり馬鹿なのである。
いくら美人でも、ロクな人生にならないだろう。
「美人は得」と言ったところで、そのオツムでは、得の数倍、数十倍の損を招く。そんなの当たり前である。
礼儀を重んじないのは、心が正しくないのではなく、やはり知性の問題なのである。

「私は、相手が偉い人でも、普通の青年でも、同じように扱う」と言う人がいて、それが本当なら真に賢い人であるが、そんなことをいちいち自己宣伝する人は、実際は、相手によって極端に態度が違うことが多い。
それでも、そんな自己宣伝をするということは、その価値を少しは解っているのだから、いくらかの知性はあるのだが、それを実践しないのは、それほどは賢くないからである。

あるいは、一見、非常に謙虚で、誰が相手でも丁寧に振舞う人がいるが、実は、それは、あまりの自信のなさや、他者への恐怖感、あるいは、謙虚なところを見せるためだったりすることがあるが、そんな者は、往々にして、陰で弱い者いじめをするのである。
他者への恐怖感を持つのは良いことではあるのだが、いい歳になっても、それが強過ぎるのは、本当の意味で自分を磨く勇気がないからである。
つまり、受験勉強みたいなことは熱心にやるが、結果が予想出来ないことからは逃げ続けてきたのである。

人間性が高いから、誰をも平等に敬うという人間は実際はいない・・・というのが私の確信である。
差別をしないのは、かなりの知性とエネルギーを要するのである。
いや、差別をしない、つまり、公平性を持つためにエネルギーを注げる者こそが、それが真のメリットであることが理解出来る賢い人なのである。
差別をする者というのは、一時的、あるいは、一部分で、いい思いをしているように見えても、肝心なところでは惨めで不幸なのである。
だって、物理学の法則のように、世界には、そのような必然性があるからである。

私は、陰口を叩く者を絶対に信用しない。
そんな人間の人間性が低いからではなく、頭が悪いからだ。
馬鹿を信用したら、どんな酷い目に遭うか分かったものではない。
だが、決して、他人の悪口を言わない人がいる。そんな人は賢い人であり、信用出来る場合が多いが、一見、そう見える者が、陰では普通の人より激しく他人を貶すのを見たこともある。

だが、とにかく、自分が、他人の悪口を絶対に言わないことだ。陰日なたなくね。
もし、それが出来れば、真に賢くなったのであり、必ず成功するのである。
偉大な人物には、要請もあったのだろうが、沢山の本を出している人がいるが、伝えるべきは「人の悪口をいうな」だけなのである。
しかし、あまりに余計なことを沢山言ったり書いたりするので、その唯一大切なことが伝わり損ねるのである。









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