私が、毎日の食事が出てくるのが当たり前だと思っていた子供の時に読んだ漫画の中のセリフだが、
「人間は安定を求めた時に生きるのをやめるんですね」
という言葉がしっかり記憶に刻まれている。
その頃の私は、安定とか不安定を実感としては、おそらく全く解っていなかったはずなんだから、よほどの真理なのだろう。

昨日観たアニメ『キャシャーンSins』でも、壊れてもルナに癒して(つまり治して)もらえ、完全な安定を与えられたロボット達がすっかり自堕落になる様子を見たキャシャーンは、
「彼らは生きているだけだ(生きようとしていない)」
と言い、ルナに対して疑問を感じた。
キャシャーンを愛する女性型ロボットも、ブライキングボスも、身体の滅び(崩壊)が進んでいたにも関わらず、ルナの癒しをなぜか拒否した。

だが、日本では、普通の人間は、安定を求めなければ生きて行けない。
これが悩み所だ。
「好きなように生きろ」
「やりたいことをやれ」
と無責任に言う特別な人間はいるが、日本は、誰もがなるべく寿命を全う出来ることを目指して進んできた国なのだ。
生きようとする人間は排除される。特別な人間でない限りはね。
だが、おそらく、ほとんどの人間は平凡なのだ。それが現実だ。
「平凡は嫌だ」と言って、社会に反逆すると、間違いなく悲惨なこととなる。
『キャシャーンSins』に沢山出てきた、雑多な弱い平凡なロボット達だって安定を求めていたが、そうするしかないのである。

「星を掴み取ろうとするのは危険だが、それをしないことはもっと危険だ」
という言葉がある。
その「もっと危険」の意味は、「もしかしたなれたかもしれない偉大な人間に成り損ねる危険」だ。
だが、ほとんどの人間は、ハナからそんなものになれやしない。

ああそうだ。
岡本太郎が言っていたなあ。
「私は常に破滅する道を選んだ」
と。
これこそが、凡人でない人間の生き方だ。
ある老人が死ぬ時に言った。
「俺のような寂しい生き方をするな」
と。
「寂しい生き方」に込められた、冒険をしなかった、破滅を徹底して避けた生き方は、死ぬ時に後悔するということだ。
そして、安全に生きると、皆、憂鬱になるのだから、やっぱり太郎が正しいのだ。
だが、命を燃やして充実して生きるか、悲惨なホームレスになるか?
それは、神のみぞ知る・・・だ。
それでも、安定を求める人間の仲間にはなりたくないのだ。
あなたもきっとそうなのだと思う。









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