シンギュラリティ・ユニバーシティというNASAの中にある、選りすぐりの優秀な人間を教育する機関の創設者ピーター・ディアマンディスが、「朝、何のために起きるのか?」、「何のために地球に居るのか?」が分からないといけないと言っていた。
ルパン三世なら、「今日も泥棒するぞ!」とか、「泥棒するために地球にいるんだ」と思っているのだろうか?
池田満寿夫は、「今日もエロい版画を作るぞ」とか、「エロい版画を作るために地球にいるんだぜ」なんて思っていたのだろうか?
そんなことはないような気がするなあ。
ルパンは、「今日もふっじ子ちゃんを口説くぞー」とか思って起きるのだろうし、池田さんは、そう毎日作品を作っていた訳ではない。
ピカソやゴッホは毎日描いていたが、別に、「今日も描くぞ」と思って起きるのでも、「俺は絵を描くために生きてんだぜ」と思っていた訳ではあるまい。
ピカソが「今日も可愛い画学生を口説くぞ」と思っていたというなら信じるが(本当にやってたし)。

「今日もメロンパンを食べるぞ」と思って起きても良いのだし、もし、本当に好きで楽しいなら、「今日もゲームするぞ」「ゲームするために地球にいる」で良いのだと思う。
そして、そのピーター・ディアマンディスは、それが10億人に影響を与えることであるべきと言ったが、ラマナ・マハルシは「真我を実現することが人類への最大の貢献」といったことを言っていたのだと思う。

思い出したが、池田満寿夫さんは、自分の絵は便所のラクガキみたいなものと言われていたと思う。
そして、池田さんは「今日も便所のラクガキみたいなことをやるぞ」と思って起きたのではないかと思うのだ(言うまでもないが、本当に便所のラクガキをするのではない)。
池田さんの便所のラクガキのようなことは、ピカソやゴッホの絵に決して劣らない。

高尚なことかどうかはともかく、朝、起きる理由があることは良いことだ。
しかし、普通の人は、嫌でも学校や会社に行かなくてはならない。
「今日も学校に行くぞ」とか「今日も会社に行くぞ」なんて、ちっとも思ってないのにね(笑)。
そんな人が、「今日も修行するぞ」なんていう宗教にハマってしまう訳だ。
いや、修行で良いのだが、他者の言う通りになんかやらないことだ。
「いや、中村天風先生の教えの通りにやっているのが良いのだ」と言う人がいるかもしれないが、それ、本当に楽しい?(笑)
それに、藤平光一さんによれば、天風さんは死ぬ時、自分の教えは全部忘れろと言ったそうだ。つまり、全部、間違いな訳だ。
彼の生き方は正しかったかもしれないけどね。
私は一時、「今日もゆっくりとした呼吸をするぞ」と思うと、なぜか起きるのが楽しかったことがある。あの感覚は、なかなか正しいものだったと思う。
そして、一番正しいのが、野球選手が「今日もバットを振るぞ」と思うことなのだが、それは、偉大なバッターになるとか、あるいは、バットを振るのが好きというその奥に何かがあるからだと思う。
それは、確かに「好き」とか「楽しい」、あるいは、「ワクワクする」という感覚として現れる。
それが扉なのである。
そこを通ると何かが起こる・・・と信じたい。









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