『涼宮ハルヒの憂鬱』の第1期アニメのオープニングの中の、顔が隠れた長門有希の絵の元になったストーリーだったと思うが、長門有希が書いた小説に、こんな感じのことが書かれていたと思う。
幽霊に名はないが、名前をつけてやると幽霊でなくなる。
長門有希は、幽霊のように何もない存在だったが、有希という名を得たことで、何かになったのである。

この場合は、「幽霊」を虚無といった意味で言っているのだろうが、要は、名をつけることで、虚無ではなくなり、存在するようになるということだ。
分かり易く言えば、名前がなければ、居ないのも同じだが、名前をつけることで、何者かとして、ここに居ることになるのである。

『物語』シリーズの中の『終物語』で、忍野メメが、「俺の可愛い姪っ子に何しやがる」と言い、扇が自分の姪っ子であると宣言したことで、怪異(妖怪)であった忍野扇は怪異でなくなった。
扇がメメの姪っ子であるというのは扇の嘘だったが、メメがそう言うことによって、扇はメメの姪っ子としての存在を得てしまった。
だから、妖怪として消される必要がなくなり、その後も存続し続けるのである。

名前はあっても、クラスの中で無視され続ければ、その子は居ないも同じである。
その子自身、自分のアイデンティティがない・・・つまり、自己を確立出来ないのである。
存在出来ないことほど苦しいことはない。
だから、最大のイジメは無視だと言われる。

『チャイニーズ・ゴーストストーリー』で、イン導師が「わしは幽霊か?人間か?」と悩んだ。
あれほど修行を積んだ者でも、アイデンティティの喪失は辛いのだ。
人は皆、自分の存在証明を求めている。
今の人にはアイデンティティがないので、自分の存在証明がなかなか得られないが、それは苦しいので、自分を認めてくれる人を渇望している。

だがね、忍野メメが、扇のことを「俺の姪っ子」って言ったように、あなたは、自分で自分のことを何かだと言わないといけない。
「わしはおらんのじゃ」と悟ったフリ、聖者のフリをしたって駄目だ。
聖者は、まず、自分の強いアイデンティティを確立してから、それを壊したのだから。

では、あなたは何だろう。
クリシュナはアルジュナに言った。
「人類で最も優れた男よ」
「敵を殲滅する者よ」
と。何度も何度も。
それで、アルジュナは自分のアイデンティティを強くしたのだ。
エマーソンは自分を「世界の所有者」と言った。
大雑把で良い。
イエスのように「王(彼の場合はユダヤの王)」というのはいかがか?
でっかくいこうではないか。









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