自分が何に向いているか?
つまり、自分の天職は何かが分からないまま歳を取り、死んでしまうことが多いのだろう。
そんな悲惨なことが多い理由は、学校教育というものが、従順な労働者を作るためのものだからで、優等生や、少しも成績は良くないが卑屈で真面目という者が、特に自分の才能を見つけられない。

最近、ある50歳過ぎの男性に、イーロン・マスクの火星開発計画について話したことがある。
2024年に火星に人間を送り、2060年に100万人の人間が火星に住む・・・といったものだ。
すると、その男性は、「で、火星に行って何が良いの?」と、せせら笑うように言った。
その男性は、大変な努力家で、仕事は出来、その歳で毎朝ジョギングを欠かさず、引き締まった身体をした立派な人だ。
しかし、学校教育が染み付き、世間と完全に一体化している。
私は話すのをやめた。言うだけ無駄だ。この男には何も理解出来ない。
イーロン・マスクは、「人類は他の惑星に進出するようなものになるべきだ」と言った。
そして、「朝、今日も生きようと思う目標を持ちたい」とも。
向上心、そして、夢とロマンだ。
そういったものがなければ、自分が何に向いているか、本当は何をしたいかが分からない。

イチローなんかは、朝起きたら、「今日もトレーニングしたいから生きよう」と思うのではないかと思う。
オフでも毎日トレーニングするそうだが、その理由を聞かれると、「休む理由がないから」で、つまり、トレーニングがしたくて仕方がないのだ。
法然は、朝起きたら、「今日も念仏を唱えたいので、今日も生きよう」と思っていたはずなのだ。
池田満寿夫さんは、「エロい絵を描きたいから、今日も生きよう」と思っていたのではないかと思う。

「今日も生きよう」と思う理由があるだろうか?
そりゃ、死にたくはないだろうが(笑)、そうではなく、生きたいと思う明確な理由だ。
それがあると、目覚めは楽しい。
それが、「音楽を作る」なら、米津玄師になれるかもしれない。
私は少し前、「静かな呼吸をしたいから、今日も生きたい」と思った。つまり、人間の潜在能力に興味があるのだ。
それが、「今日もマントラを唱えたいから生きよう」になることもあるが、あまり真面目に「今日も潜在能力の研究をしよう」などとは思わないものだ。
優れた野球選手は、「今日も、3割を打つためにあれこれしたいから生きよう」というのではなく、「今日もバットを振りたいから、今日も生きよう」と思うはずだ。
人間は単純で、特に、朝起きた時は直感的で論理はないものだ。
目覚めが良ければ全て善しである。









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